古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第166話 2005/07/29公開 |
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■ その横3メートルを超える、優美で大きな絵には、あるプロセスが描かれている。
観るわたしたちは、自身の想像力を、盛んに駆使することになるが、やがて、そのこと自体が、けっこう楽しいものであることを知る。 これが、この絵が持つ特質で、かつ大きな魅力である... 続き/Page
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サンドロ・ボッティチェリ (アレッサンドロ・ボッティチェリ 1444もしくは1445-1510)
『春 (ラ・プリマヴェーラ)』 205×315cm 1477-78年
ウフィツィ美術館
(イタリア・フィレンツェ) 所蔵 イタリア・ルネサンス
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サンドロ・ボッティチェリ。 15世紀中盤に、イタリアのフィレンツェに生まれる。
その300年前からはじまっていた経済発展は、人口の増加と、生活水準の向上をもたらし続けていた。 画家の誕生から青年期にあたるころは、例えば、フィレンツェと聞いて、すぐに思い浮かぶ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の
40年をかけて造られた美しい巨大ドームの、建設工程後半20年と重なるなど、その発展ぶりが、肌でも感じられるような時代であった。
こうした過程において、人々がしだいに、死というものを恐れて神にすがるより、現世における快適さを享受したいと考えるようになっていったのは、自然な流れだったことだろう。 そして、そんな気分は、すでにあった何かとなぞらえて、時代の意識を形成していくことになる。
その時代、イタリア・ルネサンス、文芸復興期。 人々は古代ギリシア・ローマ文明にあった「人間」の謳歌に、新たな時代の意識の源泉を求めた。
さて、ボッティチェリは、画家となる過程で、キリスト教 宗教絵画に人間の個性を盛り込んだという成果で知られる、フィリッポ・リッピに弟子入りしている。 20代で独立して、自分の工房を開くことになるが、素地には、宗教絵画の伝統があることになる。
これら、2点を押さえたならば、名作『春』が、どういうものであったかが、より理解しやすくなってくる。
画家は、この絵の舞台を、どこか素朴な感じのする森の中とした。 木々には、果物の実が、そこかしこになっている。
表現されたものの読み解きは、画面の右のほうからはじめるのが良いようだ。
青い色で描かれた宙に浮かぶ人物が、女性をすくい上げようとしている。 これは、この世の生命を奪おうとする死の象徴であろう。 女性は驚いて、振り仰ぐが、その口からは、新たな生命ともいうべきか、草のつるが、放たれるように湧き出している。
そんな不思議な、命の力は、死の恐怖から開放させることになったのかもしれない。 部分的に重なるように描かれた、すぐ脇の花柄の服を着た女性へと、自身を変化することに成功したようだ。 すっくと立ち、微笑みを浮かべ、手にした籠(かご)からは、現世を祝福しようかという花びらか何かを、振りまかんとしている。
絵の中央に目を向けると、そこには、知性的な雰囲気の女性が、こちらを観ながら片手を掲げ、画面の左半分を、好感を持って紹介しているようだ。
それでは、絵の左側を、すこし拡大して観てみよう。 3人の女性が、手を取り合って舞っている... 続き/Page
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おや! よく観ると、まんなかの女性は、踊りに興じているようでも、何かが、なかなか気になるようだ。 その視線の先には...ローマ風の衣服を着た、素朴な感じの男性が。
画面上方も、きちんと観てみよう。 宙に舞うキュービットが、矢をつがえている。 そして、その射線の先には、かの
まんなかの女性が!
そう、ボッティチェリは、画面の左半分で、恋というものが芽生えようかという瞬間を、描いたのだった。
『春』とは、そんな、ひとのときめきが、ちりばめられた、なんとも楽しい作品であり、また、人類の春ともいえるかのルネサンスを、象徴するかの名作なのである。
ところで、日本にも、春めかしい光景の象徴がある。 「桜の花が咲く」ということだ... 続き/Page
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(C) 柳澤 徹 東京・桜満開 2005・4 #1 写真
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カメラが切り取った風景の逆光ぎみの感じは、もしかすると、ボッティチェリの「春」の逆光の舞台背景を感じさせるかもしれない。 また、写った幹の部分がほぼ黒となり
立体感がないので、遠近法に、あまり関心を示さなかったボッティチェリのように、やや平面的な表現にもなったようだ。
奥行き感に、執着しない表現は、装飾的な色彩を帯びてくることがある。 襖絵など、日本の伝統絵画にも、そうした傾向が見受けられる。
ボッティチェリの絵が、日本人に好まれるのには、そうした感性への共感が、あるのかもしれない。