筋肉が盛り上がる片足が前へと出され、もう片方は後方の地を支えている。 その両方の足元は、ギリシア神話で伝令の神とされ、足が速く、翼の生えたサンダルを履いていたヘルメスを想起させるようでもあり、そこから火炎か何かが噴出していそうでもある。
光沢のある仕上がりから、中世の甲冑を着ているかとも連想させる、重厚な人体の塊は、火炎の力で、リニアモーターカーのように、わずかに浮き上がり、慣性を持って、疾走し続けているかのようだ。
2本の脚を交互に差し出すこともなく進むので、わずかに前へと傾けられた上体の、逞しい胸部から続く肩には、もはや両足が前後する反動を制御するものとしての両腕が、存在していない。
以前、日本にやって来たので、筆者も実際に目にしたこの彫刻作品。 20世紀初頭のイタリアで、運動とスピード、そしてダイナミックさを持つ、近代科学文明を、積極的に芸術の中に取り入れようと活動した「未来派」の画家であり、グループ唯一の彫刻家でもあった、ボッチョーニが創った傑作である。
制作から90年以上が経った現在でも、その造形が放つ思念のパワーは、際立ちを保持している。
かつて、同時代的に、この彫刻を観たひとの中には、慣性を持って動き出した時代の歩みとは、良くも悪くも、止めがたくあることを、直感したひともいたことだろう。
だが、この作品を、注意深く鑑賞したならば、彫像の各部分が、幾多もある「面」で構成されていることにも、気か付いたかもしれない。
絵画におけるキュビズムの手法が、応用されている訳だが、それは、たとえ時代の流れの中にあったとしても、それを構成する個々のひととは、原則的に自由であり、また、多面的かつ複雑な存在であることを、その表現に内包しているようにも、思える。
さて、1970年代の終わり、SONYのポータブル・ステレオ「ウォークマン」が世に出たのと同じ頃、未来を舞台とし、重厚なプロットを持った、新スタイルのアニメが誕生した。 『機動戦士ガンダム』である。
登場する人型ロボットの大きさは、おおむね20メートル弱。 パイロットが搭乗して操縦するもので、モビルスーツと呼ばれる。
緑色に塗られ、丸みを帯び、アメリカン・フットボールや甲冑を思わせるモビルスーツ、「ザク」のデザインに、少年は魅せられるところとなったが、何話か進む内に、黒い三連星として、機体脚部からのジェット噴射により浮上、陸上を滑るようにして、自在に移動するモビルスーツ、「ドム」が登場した。
ザクのデザインからも感じてはいたが、ドムを観たときには、確信をすると共に、大いに感動した。 これらは、ボッチョーニの、かの彫刻だと!