画家は、室町時代の後期、現在の岡山に生まれた。 10代で京都の寺に入門、画僧となる。 そのまま、こころ穏やかな生涯を、送れそうにも思えたことだろうが、時代とは、天才を育てるために、変化を与えるものである。
当時の社会の構成単位であった荘園が、ゆらぎ出していたのだ。 そして、それらを基盤にしていた幕府も、不安定になりつつあったのだ。
京都の治安は悪化し、40代になっていた画家は、現在の山口へと避難。 やがて、応仁の乱(1467-77)が起きたのと同じ頃、遣明船に乗って、中国に渡るのである。
中国では画壇に参加。 大陸の自然に啓示を受けつつ、宋や元の時代の古典絵画を存分に研究した。 そして、帰国したのち、個性的な名作を、次々と生み出していくことになる。
さて、今回フィーチャーした雪舟の傑作、『秋冬山水図・冬景』。
奥山の風景だ。 左やや下に、家が幾つか見える。 なかなか立派なものもあるが、素朴なタッチで描かれているので、清らかな風情がする。
その背面には、岩壁がある。 それは、絵の中央から上方へと、力強く、そして伸びやかに放れる筆で描かれた、恐るべき高さへと屹立する、巨大なものである。
里の辺りからは、手前にかけて、川が流れているようだ。 よく観てみると、傘を被ったひとが、川沿いの岩々の、あるかなきかの道(ナローパス)を、飄々(ひょうひょう)と、里の方角へ、歩みを進めている。
1970年代後半に、実際に目にしたこの水墨画は、それほど大きなものではなかった。 だが、しなやかで、力強い筆運びで描かれた作品は、その前に立ったものを離さず、憧れの念さえも、抱かせるのだった。
それは、室町が崩れ、動乱の戦国時代に突入して行ったとき、画家 雪舟が、豁然(かつぜん)と世に問いた、辿りつくべき理想郷であったからなのだろう。
さて、伝えられている、雪舟の名品を観ていると、目の前にある風景を、写生しているのではないと思われるものが多いことにも、気がつく。
恐らく、長い画業と中国での研鑽において身に付けた、数々の風景のパーツを、漢詩など、文学的なテーマを基調にして、再構成をしているのではないかと思う。
そのせいか、雪舟の名を耳にするとき、例えば文学の「俳諧」を思い出したりする。 小林一茶というよりは、『奥の細道』で知られる、松尾芭蕉のほうが、近そうだ。
また、構成的なところが、「音楽」を思い浮かべさせたりする。 天真爛漫(てんしんらんまん)なモーツァルトというよりは、ロマンに燃えるベートーヴェンのほうが、近そうである。
中でも、交響曲 第5番 ハ短調 『運命』(1807-08)は、雪舟の後半生と、重ねることができそうで、興味深い。
ジャジャジャ ジャーンという、印象的なフレーズで始まる 第1楽章が、画家の覚醒を促した、応仁の乱のようでもあり、第2楽章は、大陸の自然に親しむ雪舟の姿でもありそうだ。
そして、第3楽章は、帰国後の日本の現状を目にした画家の、内なる決意を表しているようでもあり、最終章の
第4楽章は、自らの理想郷を高らかに謳いあげた、この 秋冬山水図・冬景
であるかのように、思える。
第4楽章中で、金管楽器がメインになるところなどは、絵で、垂直方向へ放たれた筆で造られた岩壁を、想起させるようであるし、中盤にある、ゆっくりした部分の木管楽器の調べは、傘を被ったひとの、歩くさまのようだ... 続き/Page
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(C) 柳澤 徹 北海道 2004・3 #4
雪積もる釧路湿原と河 SL冬の湿原号の走行する客車内より 写真
画面右上には蒸気機関車のたなびく煙が |
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ところで、たいへんにドラマチックな構成の、ベートーヴェン(1770-1827) 第5交響曲であるが、現代を生きる、わたしたちとも重ねてみたならば、いったい、どの辺りにいるのだろうか? 戯れに想像してみた。
仮に、21世紀はじめの年を、第1楽章としたならば、ようやく、第3楽章の後半まで、やって来たのではないだろうか?
それでは、第4楽章の演奏開始は? 恐らく、2008年頃に、それが、どこであったのかが、盛んに口にされるだろう。
(謎)
定期的に公開しております「世界芸術列伝」は、固有の感性により、総合的な芸術表現を行っているものです。 しかし、その時々で扱ったテーマや言及が、未来の表出を予言してしまうことが、なぜか、しばしばあるようです。
それならばと、今回
2005/02/03 の列伝では、はじめて 「謎かけ ( a conundrum )」を、させて頂きました。 皆様からは、多様なご回答を頂けました様で、たいへん嬉しく存じ、また、意を強くするところであります。
ところで、筆者は、この列伝の最後で、何を予言しているのでしょうか? 「バーナムの森が、ダンシネーンに動いて来ない限りは...」
(ウイリアム・シェイクスピア 「マクベス」より) などの、但し書きを付けるつもりは、ございませんが、その実現が確認されるまでは、伏せておきたいと存じます。 なんといっても、芸術とは、鑑賞される方、お一人お一人の想像力の中で、感動と共に、完成するもので、ありますからです。