古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第188話 2007/03/02公開
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■ 外国から輸入されてきている品物や、導入された文化などに対して抱く、「ただ単に、物珍しい」という気持が、時の経過のうちに、「自分たちの生活や活動なりに有益であって、好ましく思う」という気持ちに変わるときなどに、ひとびとは、その品々や文化に対して、原産国名そのものを、ネーミングすることがある。
ご存知の方も多いかと思うが、その昔、製造方法が分からなかったので、ヨーロッパにおいては、ただ輸入によってしか入手できなかった、「陶磁器」は、”China(チャイナ)”と呼ばれた。
この事例と似た感じでもって、”Japan(ジャパン)”と呼ばれ、愛でられた品々があるのだが、ご存知だろうか?
その”Japan”とは、「うるし塗りが施された品々」、つまり「漆芸品(しつげいひん)」のことである。
漆(うるし)とは、漆の木から採れる樹液であり、乾いて固まると、たいへんに堅牢な状態になる。 木工品に対して、皮膜として用いたならば、耐熱性、耐食性に、とても優れたものができる。 太陽光線にさらされ続けるのでなければ、経年による変化も極めて少なく、その美しい光沢は、ほぼ保たれ続けるという、世にも稀な、天然の産物である。
石器時代の遺跡からは、石の矢じりを、矢の木に固定するために巻きつけた蔓に、漆をかけて強度を高めているものが出土している。 矢の木は朽ちて失われていても、漆のほうは、残るどころか、光沢すらあったという。 また、縄文/弥生時代にして既に、漆塗りが、お椀やお盆や杯などに施されることがあったことも、分かっている。
漆の木は、日本をはじめ、東アジアからインドにかけてを原生とする落葉樹であって、4、5月ごろに葉が出て、5、6月ごろに花が咲く。
漆、すなわち漆の木の樹液は、その幹より滲み出てくるところを採取する。
各地によって品種はさまざまあるものの、漆の木があったのならば、制作が可能なわけであるが、漆塗りの工芸品の総称として ”Japan”とまで名付けられるほどに卓越する日本の漆芸品。 ではここで、東京国立博物館の所蔵品の中から、平安時代から江戸時代にかけての、すばらしい名品たちを、幾つか見てみよう。
次のリンク先にある小さな画像を、さらにクリックすると、その品の詳細情報や大きな画像を参照することができる。
実物を鑑賞されたことのある方も、おられることと思うが、いかがだったろうか?
ところで、いずれの名品においても、それが木工品であることの本分を、漆の上塗りによって消し去ってしまおうとはしていないことには、気づかれたであろうか。
自然の産物であり、親しみといったものを感じる「木材」が持っている、しかるべき体温、そして重量といった、わたしたちが既知の「木材」という素材に抱く存在感覚に反することはない、心地の良い領域において、これらの品たちは実在している。
そして、施された漆が放つ、美しい光沢と独特の質感は、物の品位を大いに高め、描かれた優れた図案は、ひとの想像力を大いに励起させている。
つまり、「木材の存在感覚」、「物の品位」、「図案」、これら三者の融合の妙により、かもしだされたものが引き起こす、わたしたちの中の感情や感動が、漆芸品の魅力の真髄部分なのである。
さて、加賀の国、金沢に生まれて、7歳のころより修行を漆芸をはじめ、その道の実地と学業を極め、それこそあらゆる技法に通じ、大正から昭和にかけて、この世に新たな名品の数々を生み出した漆芸家がいる。 松田権六(まつだ
ごんろく 1896-1986)である。
2006/2007年は、この漆芸界の巨匠の主要作品、70点を集めた展覧会が開催されるところとなり、筆者もじっくりとした鑑賞の機会を得た。
漆塗りの木工を造るという技術面においては、筆者が云々するまでもなく、松田権六が人間国宝であるという事実が、その裏づけをしていようが、実際、作品それぞれにおいて展開されている「物の品位」を伴った技量(ただし技巧ではない)には、完璧という言葉が合うように思った。
松田権六は、先ほど見たような漆芸の名品たちなど、つまり古典をよく鑑賞し、研究したひとである。 それらが、なぜ名品であるのか、自分が生き、活動している時代の意識や価値観から鑑みても、なぜこんなにもすばらしいと感じられるのかといったことをよく考え、また、なにがすばらしくさせているかについて、天性の直感力でもって、把握していたに違いない。 この姿勢と能力は、大芸術家たりえる重要な資質のひとつである。
筆者は、松田権六の芸術の基調は、「物を観るときの幸福感」であると思っている。 それは、わたしたちが、正倉院の宝物を目にしたときなどに、素直に感じる「ああ、すばらしいなあ。 今日は観れて幸せだなあ」と思う感覚と、たいへんに通じているものがある。
また、正倉院の宝物が、無数の名工の技と知恵の結晶の中から、さらに審美眼をもって選択せられて残ったものであるのに対して、松田は、物づくりの技術については出し尽くした上で、ある魔法を施し、作品たちを残しているようである。
その魔法とは、松田が自らの作品それぞれに施した「図案」のことである。
松田の「図案」は、先ほど漆芸品の魅力の真髄部分として述べた、「木材の存在感覚」、「物の品位」と一体となって輝き、物全体として、ひとの「想像力」を、強く励起させる。
つまり、松田作品は、物という実体でありながら、もっぱらひとの想像力の中で活躍する「絵画」の性格を、比較的濃いめに持ちつつ、存在しているのである。
1944年制作の『蓬莱之棚』は、その特徴を、端的に表している名作である。 その木工の棚には、漆芸の技法によって、鶴の群れが描かれている。 優れた図案なので、絵画として独立させても良いと、つい考えてしまいそうになるが、そう思えるほどのものが、漆の技によって、実際の物として存在していることのほうが、むしろ驚きと言って良いかもしれない。
なお、この「図案」が、物全体として、幸福を励起させる、想像の力を発するにあたって、たいへん重要な役割をしている絵画上のポイントを、ひとつ指摘しておきたい。
それは、鶴の足を描くのに用いられた、「ピンクががったオレンジ色」である。 この色がそこにあることによって、鶴たちは、新鮮な生気を帯び、また、図案と物との一体化が促進されて、幸せの力を放っている。
(上記のリンクからの画像でも判るとよいのだが) 手を前にかざしてみて、この色を隠したり、隠さなかったりを試してみれば、このことは明らかとなる... 続き/Page
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(C) 柳澤 徹 東京 2006・4 #1
竹橋/東京国立近代美術館近くのお堀にて 写真
題して 『二連白鳥堀行楔形波紋之図
(にれんはくちょう ほりゆき くさびがた はもんのず)』
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竹橋にある、東京国立近代美術館にて、常設展示の鑑賞も含め、閉館時間までねばったあと、外へと出てみると、東京はまだ明るかった。 ここに来るときと同様、空は花ぐもりであった。
子供のころより、近代美術館には足を運ぶ機会がある。 なだらかな坂道には、街路樹が整い、お堀に架かる橋もあったりと、この界隈には、どこかしら、せわしなさといったものの外側にあるようで、かつ安易に流されていない雰囲気があって、お気に入りである。
竹橋駅の近くには、お堀のほうへと低くせり出した憩いの場所のようなものがあって、そこへと歩みを進めたならば、せわしなさの更に外に来た感じがしてくる。 特段にみごとな眺望があるわけでもなかったが、カメラを取り出してシャッターを切るなどしていると、お堀の南の方角の彼方に、白いものが浮かんでいるのが、視界に入った。 目を凝らすと、動いていることと、それが白鳥であることが分かった。
カメラをそちらのほうへと向けてみると、白鳥はだんだんと大きくなるので、こちらに泳いできているのであった。 大海であったならば、巨大船が、その左右の後方に引き連れることであろう波のように、このまったく静かな堀の水面に白鳥は、楔形のさざ波を開いていた。
やがて、この趣ある風景に、もう一羽の白鳥が現われ、先の鳥が引き起こす波紋の中を進んできた。
音も立たずに展開されながらも、生命の叙情性がある、この小さなスペクタクルは、しばらくすると、構えるカメラの前を通り過ぎて、近代美術館手前に架かるお堀の橋の下へと、消えていった。
あとには再び、ごくわずかの揺らぎのみにてあり、花ぐもりの空の灰を映し、堀壁と木々の影が、うるし塗りのように深い表情を示す、満々なれども静かな水面(みなも)のみがあった。
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