古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第192話 2007/07/06公開 |
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■ 京都駅前にあるバスターミナルから、このいにしえの都の、四方へと散会していくバスの中から選んで乗り、それほどの時間を経ずして、全国にも知られるような名所に到達できる地区と言えば、東山(ひがしやま)である。
バス停に降り立つ旅人は、この地に連綿としてある、情緒の空気を感じることになる。 そして、長くはあってもゆるやかな坂道を登ることに、歩みを注いだならば、道の左右にと現われる軒々の風情が、やがて辿りつくであろうものへの、期待感を高める。
坂道の先には、音羽山 清水寺(おとわさん きよみずでら)がある。 山門を過ぎて、広がる敷地は、それまでが坂であったことからも想起されるとおり、起伏を併せ持っている。 ここで注意深い旅人であったならば、清水にある数々の建築物とその周囲の景観が、それぞれ個性的であることに気がつく。
これは、清水寺が、山岳信仰/水源信仰に発祥を持ち、時代を重ねるうちに、拡大してきたものであり、また、後世に再建されたものも含むからでもある。 建築物におのずと表現されている思想は、さまざまな時代性を物語るもので、それらをひとつひとつ鑑賞していくことは、興味深いものがある。
だが、発祥でもあるところの山岳や水源など、自然尊重の趣きとは、建築における時代性の混在の様子をも、懐深く包み込むことが可能なようである。 ここを訪れる旅人は、敷地の中を巡り歩いているうちに、日本の自然と融和していくような感覚を得ていくのだ。
そして次第に、落ち着いた気持ちとなっていく。 清水寺に来たことのあるひとが、なぜなのかは知らなくも、再びここを訪れたいと思うのは、このことにもよるのだと思う。
さて、清水寺へと続く坂道とは幾つもあり、ひとびとはそれぞれから、目指して上がってくるので、境内とその自然を満喫して下山の途となると、三々五々となっていく。
そのとき、美術ファンであったならば、その足が自然と赴いていくだろう、あるところがある。 というのは、日本の美術史においても、特に際立った個性を放ち、その真なることにおいても傑出した彫刻作品が、そこにあるからである。
その作品とは、鎌倉時代に、木で造られた人物彫刻、『空也上人立像』だ。 その場所とは、清水寺からは少しく離れてはいるものの、同じく東山に所在する六波羅蜜寺である。
いかがだろうか? たいへんに、印象深い作品だと、お感じになられたのではないだろうか?
まず、この「写実性」がすごい。 何か様式化された手本のようなものに沿って、像が組み立てられているのではない。 つまり、生身の人間を目の前にして、徹底的に観察を行った上でなければ、制作することができないであろう、迫真の写実性である。
像となっている空也(903-972)は、平安時代のひとで、若年のころより、全国を巡っては、橋を架けるなど、民衆救済に励んだ聖(ひじり)である。
京都においては、街の中に出て、念仏(ねんぶつ)を広めた。 空也がはじめた踊念仏(おどりねんぶつ)は、たいへんに流行したという。 布施(ふせ)を受けることがあれば、困っているひとたちにあげてしまったとも伝わる。
この彫刻において、空也上人は、疫病にさらされた京都の街を、わらじ履きにて、鹿の角の付いた杖を突き、鐘をならしながら歩む姿で、表現されている。 この卓越した像の作者は、鎌倉時代の仏師、康勝(こうしょう)である。 名高き
運慶(うんけい/?-1223)の四男にあたる人物である。
ということは、空也と康勝には、時間的に200年超の隔たりがあるわけで、作品は、本人を目の前にして制作されたのではない。 彫刻家・康勝は、空也上人に関する伝承から、そのイメージを確固に抱いた上で、同時代の生身の人間をモデルとして、この迫真の写実作品を創り出しているのだ。
また、その優れた想像力の、極まりどころとも言えようものが、空也の口から差し出された、6個の小さな阿弥陀仏像であろう。 鐘を鳴らして疫病退散を祈りながら、街中を歩き回る空也上人が唱えた念仏とは、あたかも阿弥陀仏のごとしであったというイメージを、立体でもって視覚化しているのだ。
彫刻の造形で、写実性を追及していこうとする過程において、このような表現発想の柔軟さの発揮と、実際のモノに仕上げていく力が、13世紀
鎌倉時代にして既にあったというのは、「すごいね、日本人」と、誇らしげに感じるところである... 続き/Page
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(C) 柳澤 徹 東京 2006・3 #1 フォトアート
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こちらは現代の都、東京である。 ほど良い光に照らされながら、遠くに行くに従って、高層ビル化していく景観にて、その一部が表現されている。
関東平野に広がるこの都市は、近隣の県内へとも及ぶ「首都圏」を形成している。 もの心がついたときから、首都圏とはそういうものだと思っていると、往々にして気が付かないものでもあろうが、日本の首都圏の規模が特に大きいことには、Google
Earthで、世界各国を上空から見て周っても、他に類を見ないほどである。
このことはまた、日本をはじめて訪れる外国人が、しばしば、東京駅を出発した東海道新幹線の窓から外を眺めていて、とにかく延々と街並み・家並みが途切れないことを驚くことにも、表れている。
実際のところ、神奈川県の藤沢あたりまで進んでくれば、途切れがちな感じとなるのではあるが、これほどのところまで、街並み・家並みが絶えなく続くようにして発展してきているのは、世界的には「すごい」のである。
さて、もう10年を超えるくらいになろうか? 継続的な、高層住宅の供給によっても、首都圏人口は増加している。
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