古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第196話 2007/11/02公開 |
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彫刻家
成田亨 ウルトラマンと怪獣・宇宙人のデザイナー
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■ 海の潮が満ちてくるのは、月の重力に海水が引かれて持ち上がるためである。
もし、あなたが海上を進む船のデッキに立っていて、頭の真上方向に月があるのを見出したならば、地球上において海面が、もっともせり上がった場所にいることになる。
また、そのような特別な状況にはいなかったのだとしても、砂浜や海岸、港などにおいて、潮が満ちてくることを体験することも充分あることだろう。 ただ、海の状態を良く目視できる昼間においては、空が明るいがため、月のほうは見出しにくい。 それゆえ、途方無き膨大な質量を有する天体が引き起こす天空からの引力と、地球の海の潮の満ち引きとの相関関係が、それほどは明確に、意識に登ってこないというところかもしれない。
先端科学技術の研究によって、はじめて分かってきたことを耳目にすることは、知的興味を刺激される楽しい体験のひとつだと思う。 それら研究成果とはやがて、物理的な現実世界へと応用されることとなっていくのであるが、たいていにおいて、夏目漱石を1冊読んだからといってたちまち、文豪にはならないのと同じように、論文や教科書を読んだからといってすぐさま、大した能力を定常的に発生させる装置のようなものを、組み上げたり造ったりできるというものでもない。
研究成果や先端知識が、わたしたちの物理的現実世界にて活用されるためには、耕された基礎的な素地や、試行錯誤の積み重ね、蓄積が進んだノウハウ、そして、機械装置などの資本財やオペレーションの人的な体制、また原材料・部品等の供給が必要となる。
このことを念頭にして、世界の地域や国のことを考えてみたならば、@科学技術の発展段階 A経済・産業社会の発達段階、そして、Bひとびとが望んだり人間が辿ったりする歴史的な必然性、この3つの組み合わせによって、物理的現実世界において、どのようなものを創出することに多大な能力・労力が注ぎ込まれるところとなるのか、そして、実際にどのような成果が創出されてくるのかが、決まってくるということになるだろう。
そうした成果創出へのひとつの形態として、21世紀、「月への情熱」が高まっている。
「月への情熱」... そう聞いて、どこかデジャヴであるかのような感じを覚える方も、少なからずおられることと思う。 20世紀の60年代、ひとが月に降り立つことを、自身のイデオロギーが優れていることの証しとすることを目的とするかのようにして、自由主義のアメリカ合衆国と、共産主義のソビエト連邦とが、競い合ったのだった。
そのころ高度経済成長の真っ只中にあった我が日本においては、生活を飛躍的に便利にする家電の新製品、洗濯機、冷蔵庫、テレビ、クーラーが順次普及をしていったり、マイカーもブームとなるなど、消費生活が進歩していく時期であった。 日本の科学研究や技術開発は、こうした消費者向けの領域において、より多くが成された模様である。
つまり、その先に生じてくるマイホーム主義へともつながっていくような、生活を便利にする電化製品を、当時の日本のひとびとが望んだということであり、当時の米国では、自分たちのイデオロギーがより優れていることの証明としての月面への有人着陸を、ひとびとが望んだということである。
なお、どちらにおいても装置や製品に求められるものが「高品質」であることについては同じであったが、その達成のために用いられる「技術の種類」は、異なるものであったことには、留意しておくことが必要である。 また、共産主義体制であったソ連においては、それが「ひとびとが望んだもの」であったのかは、不明なところではある。
かくして、米ソによる月着陸競争に関しては直接的な主体ではなく、消費財のほうに興味があった日本においても、そのような宇宙開発時代にあるということが、意識に反映されないということはなかったのであった。 そして、「鞍馬天狗(くらまてんぐ)」でもなく、「月光仮面(げっこうかめん)」とも違う、宇宙時代のヒーローが日本で誕生することとなった。
1966年から1967年、日曜夜7時から放送されたそのテレビ番組は、平均視聴率が30%を超えた。 『ウルトラマン』である。
『ウルトラマン』は、男女5人のメンバーから成る「科学捜査隊」の活躍を描いた特撮シリーズである。 物語の中の科学捜査隊とは、宇宙人によって引き起こされた超常現象や、(宇宙)怪獣が巻き起こす災害の解決を専門とする集団である。
ウルトラマンは、M78星雲にある「光の国」の宇宙警備隊の銀河系支部長だ。 護送中に逃亡したある宇宙怪獣を追跡している途中、地球へとやってきたが、科学捜査隊のハヤタ隊員が操縦する飛行機と、誤って衝突してしまう。 ハヤタ隊員は死亡に至り、そのことに責任を感じたウルトラマンは、自らの命をハヤタの身体に預けて融合を実施する。 こうしてウルトラマンは、地球に留まることになったのだった。 そして、ハヤタが属する宇宙警備隊が、先述の諸問題の解決に際して、危機的な状況に直面することがあれば、自分本来の姿にと戻って、その能力をいかんなく発揮するのである。
進歩的な銀色と、情熱的で精悍な赤色とで彩られたウルトラマン。 宇宙時代の新しきこのヒーローの比類なき造形をデザインしたのが、彫刻家の成田亨(なりた
とおる 1929-2002)であった。
ウルトラマンの口周りについて成田は、造形にて思想や思念の表現を行う美術の専門家らしく、古代ギリシア彫刻などの「アルカイック・スマイル」に習って、「本当に強いものは、かすかに笑うものだ」としてデザインしたという。 在学中には、画家の林武(はやし
たけし)、三岸節子(みぎし せつこ)らの指導も受けた。
ウルトラマンをデザインしたのが、成田亨という日本の彫刻家であることを知って、驚かれた方も多いかと思うが、実はこれだけには留まらない。 なんと、『ウルトラマン』に登場した多くの「怪獣」や「宇宙人」は、彫刻家・成田がデザインしたものだったのだ!
額のV字をはじめとして、胴体の様子、両腕のヴォリュームのあるハサミ、反り返ったつま先。 形態が持つ意味たちが芸術的融合を果たしている『バルタン星人』
全身に渡る白黒ツートンの縞模様が呪術的で、名前からしても破壊的な『ダダ』
宇宙服のようなイメージを持っていて、沈黙が無敵感を醸しだしていた『ゼットン』
さまざまな生き物や、古代から最先端にも至る文明のアイコンに取材して産み出された成田のデザインは、こうしてその代表的作品を見ても、その形態自体が、ものの意味や思念といったものを雄弁に語るという、ハイレベルの芸術性を備えていたのだった。
さらには、『ウルトラマン』の次作として、1967年から1968年に放映された『ウルトラセブン』においては、頭部にアイ・スラッガーを備え、肩から上腕と胸にかけて鎧的な防具を持ち、赤色の身体をしたヒーロー・ウルトラセブンをデザインし、かつ、怪獣・宇宙人のデザインも多々行った。
発想の柔軟性を発揮して、目をアンテナ状とした怪獣『エレキング』
海棲生物を想起させる無重力感に、パワフルで大胆な彩色を施し、美的完成度の高さ示す『メトロン星人』
19世紀より積み重ねられてきた「頭が大きくタコのような火星人」という過去のデザインを凌駕し、これに匹敵しようものは、スイスの画家
H.R.ギーガーが行った『エイリアン』(1979)のデザインを待たねばならなかったであろう『チブル星人』...
21世紀の今日においても、多様な変化をしながら人気を保ち続ける特撮『ウルトラ・シリーズ』。 その人気形成の初期において、魅力の根幹にもあたろうすばらしい造形を、かくも次から次へとデザインしていった成田亨の才能には、偉大なものを感じるところである。 また、かくも本質的な造形たちを鑑賞することを通して、造形美術の審美眼を磨く機会が、広く提供されたのは、すばらしいことであったと思う。
さてここで、造形表現における美的観点とは別に、「物語としての存在」という点からの『ウルトラマン』についても触れておきたいと思う。
『ウルトラマン』は、本列伝の冒頭で述べたような、「月への情熱」といった宇宙開発の盛り上がりを背景にして、生まれてきた「物語」であるのだが、1960年代の日本とは消費財に、より強い関心を寄せていたと見えることを踏まえた上で、『ウルトラマン』の怪獣や宇宙人とは、社会心理の深層的に、いったい何であったのかという点についてである。
@破壊されゆく自然や、消えゆく価値観からの抵抗としての怪獣・宇宙人 A社会や都市の変化スピードへの対応不全、またはそのことへの不安としての怪獣・宇宙人 Bひとの健康へ影響を及ぼす公害としての怪獣・宇宙人 Cほぼ前触れなく発生する地震や台風など天災としての怪獣・宇宙人
そして、ウルトラマンとは、必ずしも完全無欠というわけではなくも、概ねにおいて、ひとびとの「進歩していく消費生活」を守るヒーローであったのではなかったかと、筆者は思うところである。
また、ここまでの考察を通して、20世紀における、かくなる経験を踏まえたならば、先述の今21世紀における「月への情熱」とは、社会心理的に、「物語としての『ウルトラマン』の存在」とも重なるところがあるのではないかと、思われるところであるが、いかがだろうか?
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(C) 柳澤 徹 東京・芝 2006・11 #1
『東京タワー』 写真
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東京の港区・芝に、1957年より聳え立つ電波塔が「東京タワー」である。 昭和の時代においては、クリスマスの電飾のような方式で、夜間、そのシルエットが浮かび上がるものであったが、平成に入ってからは、多数の照明を当てる方法へと進化し、東京のシンボルとも目されるタワーは、幻惑的な佇まいとなった。
写真は、東京タワーのふもと近くにある公園から撮影したものである。 公園の大きな木立が、風に揺れつつ、タワーの手前にあったので、大展望台より下の部分は、動く枝葉の隙間から伺う感じとなっていた。 その光景はどこか、この印象的な塔の上部が、地面へと大きな炎を吹きながら、浮上を試みているかのようにも、想像の翼を広げられた。
月の重力に引かれながら。
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