デフォルメとは、描画の対象を、変形して表現することである。 適切に用いれば、作品にダイナミックさと、生命感を与えることができる。 江戸時代後期には、そのひとつの極みがあった。 浮世絵である... 続き/Page
Up
その先にあるものを、飲み込もうとするかのような、大きな波である。 手前には、翻弄(ほんろう)される3隻の船。 4人ずつ2列になっているひとたちは、成すすべもなく、船の縁にしがみついている。 ほんとに巨大な波だ。
浮世絵 『神奈川沖浪裏』。 この絵が、なぜ、これほどのダイナミックさを持って、観るものに迫って来るのだろうか? それは、デフォルメが用いられているからだ。
試しに、波間の奥に描かれた、やや縦長の富士山を、通常の形へと戻すことで、全体の縦横比を変えてみよう... 続き/Page
Up
美しい絵であることに、変わりはない。 だが、絵からは、緊迫感が減じて、どこか落ち着いた風情となる。 例えば、欧州の写実の風景画にあるような、大陸的で、時間のゆったりとした感じとなる。 こうしてみると、わたしたち日本人は昔から、多少せわしいくらいが、好きなのかもしれない(笑)。
さて、作者の葛飾北斎は、強烈な好奇心の持ち主だった。 狩野派をはじめとして、様々な画法に挑戦しては、それを会得。 自身の画風を次々と変えながら、それぞれの分野で、一流の作品を残した。
プリントされた浮世絵は、海をも渡り、19世紀のヨーロッパ、特に印象派の画家たちに、熱狂的に受け入れられた。 クロード・モネ(1840-1926)、エドガー・ドガ(1834-1917)、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(1864-1901)は、北斎の熱心な収集家だった。
ところで、この『神奈川沖浪裏』だが、現代に至るまで、世界の数え切れないほどの人たちが、親しみを寄せてきた。 しかし、それには、デフォルメを用いたダイナミックさだけが、理由だった訳ではないようだ。
描かれた船は、確かに危機的な状況にある。 だが、急流に落ちた木の葉のように水面を舞いながら、辛くも飲み込まれないで済みそうな、印象がするのである。
絵画とは、何が描かれているのかが、重要だ。 この作品には、ここで暮らすひとたちに対する、画家の慈しみの気持ちが、微妙なさじ加減でもって、描き込まれている。
この点、海上の大嵐を題材にした、セバスチャン・ユンガー著のドキュメンタリー小説を、ウォルフガング・ペーターゼン監督(1941-)が映画化した、『パーフェクト
ストーム』(2000年)にて表現されたものと、かなりの共通点がある... 続き/Page
Up
|
|
|
(C) 柳澤 徹 トルコ 2000・11 #5 写真
カッパドキア地方にそびえる岩山のひとつ
縦横比を変えることでデフォルメしてみた |
|
映画『パーフェクト ストーム』は、トルコからの帰りの飛行機の中で上映されたらしいが、寝ていて見逃した。 幸い、のちにテレビ放送で、楽しむことができた。
コンスタントに公開しております「世界芸術列伝」は、固有の感性により、芸術表現を行っているものです。 しかし、その時々で扱ったテーマや言及が、未来の表出を予言してしまうことが、しばしばあるようです。
本ページの制作・公開から9日後、2004年12月26日、スマトラ島沖地震により発生した大津波には、筆者自身も、大変に驚き、こころを傷めております。 その一方、北斎の絵の持つ芸術性として、本文にて特筆しています
「慈しみの気持ち」が、全世界を挙げての救援の手として、現在、実現されていることには、少なからず安堵を感じております。
■ 追伸 上野の
東京国立博物館
へ、「北斎展」を観に行ってきました。
展示作品は、画家20歳から90に至る、およそ70年にもわたる画業からの500点。 版画に関しては、状態の良いものを、特に選んで集められているという、またとないような本格的な企画展。 そのためだとも推察しますが、またその一方、時代が良くなっていくのを表してもいるのか、先般行った
ユトリロ展を、グンと上回る、驚くような賑わいでした。 美術への、ひとびとのこの関心ぶりは、1994年ごろを彷彿とさせる印象さえ抱くものでした。
さて、一堂に会した作品たちを鑑賞して、あらためて分かった北斎の美術史的意義、そして偉大さは、日本の古典的文学の味わいから、現代のわたしたちも、それが直感的に理解できる、自然との係わりから生まれる情感、暮らしから生まれる情緒、幾百とあるそれらを、膨大な数におよぶ絵画・版画として、ひとの視覚によって感じ取り、味わえるものへとしていったことです。
江戸時代より、ひとびとは、北斎作品と、こうした感情的なつながりを、抱いてきたわけだったのですね。 そして、描き手である北斎自身も、この感情のやり取りが楽しくて仕方がないという筆運び、そして絵づくりをしているのが感じられました。 さあ、次はどうやって、喜ばせ楽しませようか? そんなつぶやきと共に、袖まくりでもしていそうな感じです。
満喫し会場を出るとあるのは、ミュージアムショップ。 筆者は、たいがいポストカードを数枚買うのです。 ところが、今回、目にドーンと飛び込んできたのは、現代の匠によって木版摺りされた、目にも鮮やかな北斎の浮世絵たちでありました。 その精巧ぶりは、会場内で観たものと、同等の芸術的雄弁さをもって、確かな情感を放っていました。 聞いてみると、とても真面目な取り組みをしていると評判で、筆者も以前から知っていた「アダチ版画研究所」で作られたものとのこと。
絵は自分で描くので、あまり買わない筆者ですが、およそ5年ぶり位でしょうか? その摺りの
あまりの出来栄えの良さに、買っちゃいました。 富嶽三十六景から、『甲州石班沢』。 浮世絵は 15点くらい並んでいたように記憶していますが、やっぱりこれが一番売れているとのことです... 続き/Page
Up
|
|
|
葛飾北斎 冨嶽三十六景 甲州石班沢 浮世絵/藍摺絵 |
|
朝霞の富士山を背景にした大きな自然に包まれて、網を打つ漁師が描かれています。 自然の恵みと共に暮らす清らかな継続性の情緒、ダイナミックで動きがある構図... これは、絵画にて表現された、ひとつの日本的な「哲学世界」でありましょう。 環境配慮型のサスティナビリティの思想も含蓄されていますね。 実にいい絵です。
ところで、この浮世絵は、青ひと色のみの濃淡で仕上げられています。
「藍摺絵(あいずりえ)」と呼ばれます。 (実際のアダチ版 藍摺絵は、この画像に増して美しくできています)
この青は、ベロ藍いいますが、北斎の時代に舶来した 「プルシャンブルー」という顔料のことで、シリーズ・冨嶽三十六景において多用され、はじめてそれを観た江戸のひとびとを驚かせ、魅了しました。 冒頭部分で登場しました『神奈川沖浪裏』でも使用されています。
プルシャンブルー(プルシアン・ブルー)とは、プロシアで生まれた青という意味で、青色の絵具の中でも
「厳かな印象を放つ」のが特徴です。 のちになって日本から欧州へと渡った北斎作品の色使いは、パリにてそれに遭遇した印象派の
画家 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホにも新鮮な驚きをもたらすことになります。 ゴッホは、自身の作品の中で、しばしばプルシャンブルーを用いました。
時代は流れて20世紀に入ってからは、画家
パブロ・ピカソが、プルシャンブルーを、若き日の「青の時代」において多用しました。 この時期に描かれた人物たちが、なぜかどこか、神的ともいうような「崇高な印象を放っていた」ように記憶されている方も、多いかもしれません。 それは、きっと、プルシャンブルーという色が持つ特性を、ピカソが良く知っていたからなのでしょう。
筆者も、とくに意識して、プルシャン・ブルーを多く用いて、油絵を描いたことがあります。 この色についての、ピカソやゴッホ、そして北斎のことも、昔から知っていました。 しかし、この「藍摺絵」が眼前に出現したとき、19世紀の江戸のひとびとや、パリにいたヴァン・ゴッホ同様に驚き、そして魅了されてしまったのは、なんとも不思議なことです。
しかし、返ってこのことこそが、芸術が発揮する力が示されたことでもあり、また、現代に通用する、北斎の偉大さなのであろうと、思えくるところです。