古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第207話 2008/10/10公開 |
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■ 日本の陶磁器は、産地の名が付けられることが一般的である。 たとえば、「美濃焼(みのやき)」といったら、岐阜県の土岐市(ときし)、多治見市(たじみし)、瑞浪市(みずなみし)、可児市(かにし)を産地とする、やきもののことである。
その一方で、産地名ではなく、その陶磁器を創始した人物の名前でもって、やきものを呼ぶことがある。 たとえば、「乾山(けんざん)」といったら、江戸時代の陶工、尾形乾山(1663-1743)が創始したやきものである。 6代目乾山(1851-1923)は、英国人陶芸家バーナード・リーチ(1887-1979)の師であった。
なお、やきものを創始者の名前で呼ぶ場合、語尾に「焼」は付けない。 たとえば、「乾山焼(けんざんやき)」とはいわない。
陶磁器に関する、これら作り手に準拠したこの感じの捉え方は、今も昔も馴染みのものである。
ところで、工芸作品には、その作り手が存在する一方で、それらを享受して愛でる、多数のひとたちが世に存在している。 現代的にいえば、ユーザーやコレクターである。
これら作り手とユーザー・コレクター両者の関わりによって、創造や生産、そして消費や収集・保存等の人間社会的な活動が行われる。
この活動が回っているとき、作り手、そしてユーザー・コレクターの、双方から相手に対して、「好みである」という人間感情が生じているであろうことは、確からしいことだ。
その感情の強い弱いや、感情の表れで方によって、その社会的活動も、いろんな形態を取ってみたり、規模を持ったりすることだろう。
日本には古来より、「数寄(すき)」という言葉がある。
数寄とは、読んでの通り、「好き」の意味の言葉であって、漢字は当て字である。 数寄とは、なんらかの芸事(げいごと)に、それを専門業とはしないものの、打ち込んでいる様子のことである。
「好き」という意味のことを、特に当て字を用いて「数寄」のように書くのには、「ものごとを解する人物は尊いものだ」とする社会的経験則の、演繹(えんえき)が行われてのことであろう。
古くは、和歌を作ることに執心なひとの様子を、数寄といった。 そのひとたちのことは、「数寄者(すきしゃ、すきもの)」と呼んだ。
時が流れて室町時代、芸事として連歌(れんが)が、いよいよ流行するようになった。 すると興味深いことに、「数寄」という言葉が、連歌のことを指すように変化した。
さらに時が流れ、桃山時代も進んでくると、この数寄という言葉が、今度は「茶の湯」を指すことに変化したのであった。 以降、ニュアンスの変化はあるものの今日まで、数寄といえば、茶の湯に関連することがらにと落ち着いている。
本列伝の冒頭で、日本のやきものの一般的な呼び方について述べた。 すなわち、産地名で呼ぶことが多い。 創始者名で呼ぶことがあるが、その場合、語末に「焼」は付けないと。
ところが、そのように作り手に準拠するのとは、むしろ逆のアプローチによって発展したやきものがあった。 それは、安土桃山時代の、ある極めて優れた数寄者によって育まれた。
その数寄者とは、茶人(ちゃじん)の古田織部(ふるた おりべ 1544-1615)である。 その美意識によって育まれたやきものからは、想像力に溢れた超級の芸術品が輩出した。
古田織部が直接の制作者ではないにも係わらず、それらやきものは「織部」と呼ばれる。
また、それらやきものを「織部好み(おりべごのみ)」ともいうが、おおむねこの呼び名が性質をよく表わしている。 つまり、文字通り、織部好みのやきものなのである。
また、産地からすれば、「美濃焼」の範疇のやきものであるのだが、織部は「織部焼(おりべやき)」とも呼ぶことから、産地的な動きへとも発展していたことが伺える。
筆者は、上野の東京国立博物館へ企画展を観にいった折には、常設展示の名品も、閉館時間まで粘って観て回るのが常であるが、織部と鈴木春信は、特に楽しみである。
それでは、織部を一品、観てみよう。
磁器とは、ろくろできっちり円形に成形されたものだという既成概念を、さらりと超越した、扇のかたちをした、趣きのあるやきものである。
まずはこの、型にはまっていない様子に、興味を惹かれる方も、多いのではないだろうか? 不定形が、織部の特徴のひとつである。
作品には、半透明であってやや鈍い感じの、野山の草木の葉のような発色をする釉薬(ゆうやく)が、部分的ではあるがバランス良くかけられていて、いい味をだしている。
これは「織部釉(おりべぐすり)」という釉薬で、筆者も使用したことがあるが、焼く前の絵付けの段階では、灰色で不透明であるのだが、銅が含まれていて、焼き上がると、半透明で草木のような味になるのである。
織部釉がかけられてない部分には、焼くと茶色になる釉薬でもって、絵が描かれている。 これは個々の織部の個性が発揮されるところでもある。 幾何学的な柄が描かれることもあれば、抽象化された絵柄であることもある。 ときには、鳥であるなど具象が描かれることもある。
この作品の柄は、こげ茶に発色しているが、これは織部釉の緑とよく合う色である。 筆遣いは、自由で創意に満ちている。 つまり、形式ばっていない自由さがある。 柄は一見、素朴かとも見えるが、線はとても力強い。 創意がないと、こうした線は描けない。
このような線が描ける人物が、数ある織部においても、特に超級の芸術品を生み出しているようである。 国も時代も異なるが、パブロ・ピカソが描く線が持っている芸術性とも通じるものがある。
さて、この作品を通して、織部・鑑賞の壺を、分析的に述べてきたが、これらを踏まえつつ、とても大事な壺を、もうひとつ述べてみたい。
先に、織部は想像性に溢れているとした。 これがどういうことかということだ。 それはやきもの全体を眺めたときの、「景色(けしき)」がそうなのである。
不定形な造形、半透明の緑の彩色、自由な線描による柄。 これらが響き合い、「景色」は生み出されている。
それは、草深いこともあるだろうが、要所はひとの手でもって整備された、庵(いおり)のようなところ。 それが茶室であるなら、それで良い。 数寄者が、その好みの追求において、居心地の良い場所。 それは、虚飾から逃れ、自己が開放されていくというプロセスを伴う、自由な人間性を主張できる場所である。
そうしたものを求める美意識が、織部というやきものには凝縮されていて、わたしたちは、織部に接したとき、そこに見える景色と美意識に、遊ぶのである。
その景色とは、たとえば、こんな感じかもしれない。
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(C) 柳澤 徹 東京・目黒 2008・2 #2
『竹垣と木漏れ日のある景色 - 路』 写真
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