古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第208話 2008/12/04公開 |
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画家
エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナー Women
on the Street
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■ 「事実は小説よりも奇なり」という。
現実の世界で起きることは、ひとが考えて創る小説より不思議で複雑だったりするという意味である。
小説をはじめ諸々の芸術に長年親んでいると、さまざまな地域に伝わってきた神話や、古典と呼ばれるような作品には、わたしたち人間について、じつに深く考察されたものが数多く存在していることが分かってくるので、なにかの「事実」に対しては、しばしば、「あれについてはあの作品、これについてはこの作品」などと、当てはめて考えてみたりする。
当美術館が世に送り出してきたシリーズ「世界芸術列伝」を振り返ってみると、そうしたスタイルでの表現であった蓋然性が、ある水準よりも高かったようにも思われる。
現実の世界で起きることとは、実際複雑なものだ。
それを解明しようとした試みとして、「複雑系」の理解や「カオス理論」への注目が、1990年代に存在したことは、ご記憶にあるところではないだろうか? 世のものごとの間には、とても興味深い相互作用が働いているのだが、それらの展開していくさまはたいへんに複雑なので、その結果現象についての確からしい予測は困難だ、複雑なものは複雑なのだから、それを「複雑系」として認めようじゃないかというのが、その結論だったように思う。
だがもし、そんな複雑な現実世界を、自然界全部ということではなく、「人間界」ということに限定してみれば、一歩は解明しやすいものになるだろう。 というのは、場合によっては何万年の積み重ねから抽出された神話や、ギリシアの詩人ホメロス以降
2千8百年の歳月に産み出された古典と呼ばれるような作品において、わたしたち人間について深く考察が成されてきているからだ。
それゆえ、人間界の現実世界で起きることは、依然としてたいへんに複雑ではあるものの、もし起きた「事実」に関してよく吟味する時間とエネルギーがあるならば、それにて生じて働いたであろう、ひとの間の相互作用の一定以上の部分は、古今東西のどれかの作品において既に考察された可能性が高いことが判るだろう。
そして、起きた「事実」は、はじめに思ったほどには、不思議なものではなくなる。
このように考えてくると、「事実は小説よりも奇なり」との文言は、「未だそれについてよく吟味されていない事実には、小説より奇に思えてしまうものがある」くらいのところが、おおむね納得できる真なるところなのではないだろうか?
「ミネルヴァのフクロウは、暮れ染める黄昏を待って飛び立つ」という。
19世紀ドイツの哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770-1831)が、1821年に著した『法哲学綱要』の中にあるフレーズである。
ミネルヴァのフクロウとは「英知」の象徴である。 とても印象的なこのフレーズは、フクロウが夕暮れになってから姿を見せるように、歴史や世界の現象は、その最終段階になって意味が分かるものだと解釈されることが多いようだ。
あとになってから意味が分かるのは、意味など考えもしないことに較べれば、それこそ雲泥の差があるものの、わたしたちは現在進行形の歴史の中を歩んでいるので、意味があとになってから分かるのでは、やや落ち着きすぎているのかもしれない。
それがなにであるかは時間軸の取り方によって異なるかもしれないが、人類の歴史において、ふたたび繰り返してはならないことがあり、あらかじめ予見的に行動する必要性があるからだ。 たとえ依然として、この世界が複雑系の中にあったとしても。
なお、ミネルヴァのフクロウのフレーズは、大きな変化の状況の中でこそ、ひとの英知が発揮され、新たな時代というものが切り開かれるのだとも解釈されることがあることは、特に記しておきたいと思う。
たとえば千年であるとか百年であるとか、かなり長い時間軸を行き来しつつ、ものごとを考察してみることが多いのが、当Web美術館の特色のひとつでもあるところだが、「時間」とは、もともと芸術における重要なテーマのひとつである。 また、皆さんも美術館や博物館へ行かれて展覧会をご覧になって気が付かれた通り、展示の構成においては、時間軸というものが、しばしばその根底で重要な役割をしている。
さて、ここで前世紀のことを振り返ることとしてみたい。
もちろん国や地域によって見え方は異なるだろうが、ざっくりと世界を見たとき、1980年代、そして1920年代と1960年代を除いて、ほかの7年代は平穏とは反対の「激動の年代」であったのではないかとの印象を抱いている。
人類の歴史は、19世紀の中頃よりスピードを上げ始めた。 そして、世紀末を越したはじめの20年も激しい時代となった。 美術分野においては、モダニズム(近代主義)の前期のあたりが、熱を持って展開されたころである。
そのシンボル的な存在は、1907年に、当時の前衛画家パブロ・ピカソによって描かれたキュビズム絵画『アヴィニオンの娘たち』であろう。 人体は、立方体と円錐による構成物であるかのように捉えられているのだが、画面には同時に、ピカソ独特のきわめて強烈な生命感が描き込まれている。
かつて20世紀が終わるころ、20世紀についての総括が盛んに行われた。 それにおいて主流な捉え方は、「20世紀はイデオロギーの世紀」というものであったと思う。
美術分野においても、その傾向は色濃く、「イズム(主義)」のひとつであるモダニスムの中身は、さらに詳細な「イズム」のオンパレードだった。
キュビズム(Cubism)は、言葉を正確に訳せば「立方体主義」となるだろう。 同様にすれば、未来派(Futurism)は、未来主義。 フォービズム(Fauvism)は、野獣の入った檻(おり)主義。
19世紀後半のものであるが、印象派の画家たちのイズムは、印象主義(Impressionism)である。 この言葉に含まれる仏語pressionとは英語でいうところのpressure(圧力)で、Imと否定の語が付いているので、「非圧力」という意味になろう。 インプレッション(印象)とは、自由な人間主体による受け止め方・感じ方ということなのだろう。
20世紀に入ってドイツで起きたモダニズムは、このImpressionismと対(つい)になるものの主義であった。 それはpressionの頭にEx(放出)の語を付けたもので、「圧力放出」すなわちExpression(エクスプレッション=表現)ということで、表現主義(Expressionism)と呼ばれるものであり、人間主体の感情を表出することに力点を置いた作品群である。
ドイツ表現主義の代表的な画家には、エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナーがいる... 続き/Page
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エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナー
(1880-1938)
"Women on the Street"
1915年 油彩 126×90cm Von der Heyd-Museum in Wuppertal
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モダニズム絵画でしばしば用いられる黒が、画面に引き締まった印象をもたらす中、背景には明るい感じでイエローを配している。 人物にはその補色のグリーンや、対比で色味が生えるブルーが用いられている。
縦1メートルを超える作品で、筆者はこの絵が東京にやって来たときにじっくりと鑑賞する機会を得たが、画面のメリハリが効いていて内容があり、はっきりと記憶に残る、重要な絵画作品であることがすぐに分かった。
モダニズム絵画なので、先ほど観たピカソの作品がそうだったように、対象をきっちり写実的に描こうとの意図は存在していないのだが、ピカソの『アヴィニオンの娘たち』の人物が立方体と円錐で描かれていて、かつ独特の強烈な生命感を漂わせていたのに対して、キルヒナーのこの作品の場合、三角形と楔形(くさびがた)が、画面の至る部分に存在していて、それが狭窄感(きょうさくかん)のようなものを発生させているのであった。
さらには、絵画の構図そのものも、改めてよく見ると大きな逆三角形になっていて、不安定感をかもし出している。
この作品はキルヒナーの代表的なものであるのだが、キルヒナーの他の作品を観ても、やはり不安感のある画風となっている。
キルヒナーにはもともと不安症の傾向があった模様だが、「表現主義」とは人間主体の感情を、作品にて積極的に表出しようとするものであるので、キルヒナーに内在した不安は、その主義が積極的に目指したところに沿って、効率的に形になっていったのである。
かくして、キルヒナーは人類の文化史の、20世紀前期の一角を占める存在となった。
本編、世界芸術列伝 第208話 「エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナー」は、2008年12月に執筆しているものである。 今次の世界を見回すと、ひとびとの間に不安ななにかがある様子なので、それを既に表した芸術であるキルヒナーの作品を考察することを通して、なにかを共に学び、人類世界に貢献できるのではないかと考えて取り上げてみた。
今のひとびとは、「不安表現主義(Insecure Expressionism)」であるかのようである。
今回話題にしたキルヒナーもピカソも、実は同年代の画家である。 同じモダニズムの中にあって、二人とも当時「退廃芸術」であると断定された。 だが、ピカソは常に強烈な生命感を持ち続け、モダニズム自体が終焉する1970年代まで生き、キルヒナーは退廃芸術とされたショックのあまり1938年に死んだ。
これは画家の優劣を評価しようとするものではない。 キルヒナーがいなければ、ピカソの意義がはっきりしないし、今の世界にとっては、ピカソよりキルヒナーの存在のほうが、むしろ重要かもしれないのだ。
先に、「ミネルヴァのフクロウは、暮れ染める黄昏を待って飛び立つ」というヘーゲルのフレーズに触れた。
そして、大きな変化の状況の中でこそ、ひとの英知が発揮され、新たな時代というものが切り開かれるのだとも解釈されることを記した。 傲慢であれば思いもつかない本当にすばらしいアイディアも、もし不安の中にあるのなら身に迫って浮かぶかもしれない。
終わりは始まりなのだ。
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(C)
柳澤 徹 ドイツ 1998・11 #50
"People on the Street in
Munich" 写真
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● 巡り歩いていたミュンヘンも、既に日が暮れていた。 清潔感があって、広い道の多い石畳の街は、どこも歩きやすかった。 やがて、オレンジ色の灯りが、柔らかく石を照り返す、美しい通りへとたどり着いた。 それぞれの目的に沿って、行き交うひとびとが、そのシルエットでもって、景色を盛り立てていた。 クリスマスを控えた時期で、それは1998年だった。 あのとき世界もたいへんだったものだ。
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