古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第224話 2013/09/24公開 |
|
フランツ・シューベルト
未完成交響曲
Franz Peter Schubert Symphony No.8 in B minor
"Unfinished Symphony" |
|
■ モーツァルトのような鮮烈な個性をもってして、または、ベートーヴェンのような華麗で不屈の魂をもってしてでなければ、音楽史上に輝く作品を生み出せないかというと、そんなことはない。 なぜなら、わたしたちは、シューベルトの存在を知っているからだ。
おおむね、ひとが良さそうであるし、当人の最大級の特徴といえば、「内気」であることが挙がるくらいなシューベルト。 しかし、その内気さというものが、守ってあげたくなる愛情を、ひとに生じさせることになった。 シューベルトほど、兄妹や友人たちなど、周囲の人間から好かれて愛されたという作曲家の例は、ほとんど聞かない。
その全てについてあてはまるかは別として、シューベルトの作品の傾向としてあるのは、嬉しいなら素直に嬉しいと表現し、悲しいなら率直に悲しいと表現することだろう。 オペラ作曲家のように、観客に対する劇的効果を、綿密に立案したりはしていないようだ。
すがすがしい喜ばしさが、表現されているものといえば、ピアノ五重奏曲 イ長調 D667, Op.114 (1819) 「鱒」だ。 聴いていると心が軽くなり、楽しい気分になる、すばらしい名曲である。
また、悲しい気分が延々と歌われる例としては、歌曲集「冬の旅」 D911, Op.89 (1827)がある。 そして、前者も後者もストーリー性は特に有していないが、それが、シューベルト・スタイルだ。
さて、シューベルトは、14の交響曲を作曲した。 この中でも特に注目したいのが、「未完成交響曲」と呼ばれ親しまれている作品である。 シューベルトが14創った交響曲のうち6曲は未完成であるので、未完であるということ自体が名曲の由縁ではない。
モーツァルトとも、ハイドンとも、そしてベートーヴェンとも異なる、シューベルトにしか創れない独自性が、この交響曲で特に際立っている。
シューベルトのこころ深みから、こんこんと湧き上がってくる情感というものが、そっくりそのまま2楽章分の音楽となっている。 作品に作為というものは感じられず、こころがそのまま音楽と化している。
この曲が演奏される20分強、わたしたちは、そのこころと共鳴する幸せな時間を、体験することになる。 3・4楽章がない1・2楽章のみの交響曲であるが、これを十分に聴き味わってあとで、3・4楽章がないことを不足だと思うひとは、それほど多くはないだろう。
さあ、それでは、「未完成交響曲」を聴いてみよう。
|
|
|
フランツ・シューベルト(1797-1828)作曲
交響曲 第8番 ロ短調 D759 「未完成」 |
|
|
|
|
■ 第1楽章
やや暗めの音調ではじまる。 黒い雲で覆われた午後、ひざ上くらいの高さの草が一面に広がる野原のようなところにいる。 すこし風も出ていて、草が思い出したように時折ざわめく。
やや見慣れない風景の中にいることになるのだが、不安は感じない。 それどころか、ここから先に起きるかもしれないことに対する、期待さえを抱いている。 それは、こころの隅で静かに燃え続けている冒険心から、湧いてきているものなのかもしれない。
■ 第2楽章
第1楽章とは異なる曲であるのだが、音楽表現の方法が第1楽章と大きくは変わらない。 第1楽章で得た感動を、別の形でもう一度味わえる幸運のようなものを感じる。
その幸運感の中にいて耳を委ねていると、さきほどにはなかったことがらが、表現されていることに気がつく。 それは憧憬、あこがれである。
ここで表現されているのが、なにについてのあこがれなのかは明確ではない。 それよりもむしろ、ひとのこころの中で広がっていく、あこがれそのものを表現しているように思える。 そのこころは、どこか新鮮なものである。 そして、あこがれは時として、あり得ないほど大きくもなったりする。
これから先に起きるであろうこと、起きるであろう変化について、それを脅威などとは感じることなく、ワクワクして期待をする。 未完成交響曲は、そうしたこころを、音楽で表現しているのである。
この曲に耳を傾けて、これに共鳴して感動できている限りにおいて、ひとは、青春のうちにあることだろう。
|
|
|
|
(C)
柳澤 徹 京都 2012・9 #2 龍安寺にて 写真
|
|
|
● 微笑むような陽の光が、木々の間から、砂利が敷かれた道の、あちこちに注がれている。 ここは石庭で良く知られる禅寺・龍安寺(りょうあんじ)の境内だ。 ここまでに来るのに、徒然草にも登場する仁和寺の辺りから、上りも下りもある道を歩いて来たところなので、時折通り抜けていく風が、さわやかなのはありがたい。 すこしうねりを持った道は、しばらく先で曲がっていて、今いるところからは、その先を見ることができない。
さあ、あなただったらどうするだろうか? 見えないところに虎がいたらどうしようと想像して、引き返すのだろうか。 それとも、その先にあるものが見たくて、足取りも軽く進んで行くのだろうか。
|
|
|