古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第180話 2006/07/07公開 |
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■ 国土の半分が海抜を下回り、昔も今も、水をかきだし続けている国がある。
だが、そうであったならば、否が応でも発達し、またそこで尊重されるのが、ひとびとが築く 気高い「人知」というものだ。
その国とは、ヨーロッパの北西部に位置する オランダである。 そして、根底にあろう危機感によって鍛えられた その「人知」は、ひとの精神を永続的に刻むのに優れた「絵画芸術」の分野においても、極めて独特な境地を、切り開いてきた... 続き/Page
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ピエト・モンドリアン
(1872-1944) 赤、黄、青のコンポジション
キャンバスに油彩 35×39cm 1921年 |
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オランダは、ネーデルランドとも呼ばれる。 ネーデルランドとは、「低い土地」という意味だ。 もともと陸地にとぼしく、干拓によって土地を増やしてきたのだ。 それゆえ、その景観は、遥かな時と、ひとの手によりつくりかえられてきたので、もとからの自然は植生は少ないのが、特徴のひとつでもある。
半ミレニアム前の16世紀には、広がりを持つ空間の中に、たくましく生きるひとびとを描いた、ピーテル・ブリューゲル(1525?-69)が、ネーデルランドにいた。 作品
『雪中の狩人』(1565年)も有名だ。
大航海時代を経由して、オランダ黄金の世紀とも呼ばれる17世紀には、絵画の明暗法の大家、レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン(1606-69)がいた。 描かれた肖像画たちは、琥珀(コハク)のような深みを持ち、その内側から湧いてくる風格は、絵画の王様といった観がある。
そして、観るものに、ちょっとした興味をいだかせることに長け、その心地よさは、日本においても、たいへん親しまれている ヨハネス・フェルメール(1632-75)も、同世紀の画家だ。 作品
『真珠の耳飾の少女』 (1665年頃)では、振り返りざまの一瞬を、永遠の「美」にした。
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ちなみに、この黄金の17世紀にオランダは、鎖国下の日本と貿易をするための、長崎・出島の居留権を獲得しています。
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オランダと聞くと、「風車」を思い浮かべる方もおられることでしょう。 水を汲みだすのには、現在では電動式の装置が常用されますが、その昔は、風力によって干拓が進められたのです。 |
こうして画家たちのことを耳目にしたならば、たいへん独特な絵画芸術の境地が、「人知尊重」の土地から、開拓されてきたことが会得されるが、極めつけともなろうのが、安藤広重(1797-1858)や葛飾北斎(1760-1849)の、海を渡った「浮世絵芸術」を介して日本にゆかりのある、19世紀のヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(1853-90)の出現であろう。
その鮮やかな色彩の重奏と、うねりながら、魂が叫ぶような絵筆のタッチは、観るものに、描き手という生身の人間に起きている、なにか只ならぬものを、切々と伝達する。
このとき人類にとって幸いだったことに、描画における まれなる才と、純粋なる精神が、ゴッホの内に備わっていたので、画家個人の主観による仕事は、高度で
重要な芸術に至った。
そうして、20世紀へと続く「表現主義(Expressionismus)」の先鞭もが、つけられたのだった。
さて、かくも先取(せんしゅ)の開拓者を輩出してきたオランダであるが、わたしたちが同時代的に知る美術の、ある領域を開いた画家も、そこから生まれた。
その名は、ピエト・モンドリアン。 取り組んだのは、「抽象絵画」という新領域である。
絵画とは、ひとの精神を刻むのに優れているが、人物や風景などわたしたちが目にできるものを描きながら、それを行った絵を、「具象絵画(ぐしょうかいが)」と呼ぶ。 さきほどまで言及してきた画家たちが描いたのは、すべてこの具象絵画である。
それに対して、精神の刻み込みに際し、たとえば円筒、球、円錐といったような形によって表現をしてみたり、色彩の組み合わせでもってして描いた絵を、「抽象絵画」という。
前者の「形」からのアプローチをしてこの分野の先鞭をつけたのは、フランス人のポール・セザンヌ(1839-1906)、そして、後者の「色彩」からのアプローチによって先鞭をつけたのは、やはりフランス人のアンリ・マティス(1869-1954)である。
1872年生まれのモンドリアンが、若き日を過ごした19世紀の終盤とは、セザンヌが追求した仕事の成果から、遠近法を用いた描画方法に替わるものとして、キュビズムの運動が起きたころでもあった。 モンドリアンも、その流れの中で絵画制作をしていた。
しかし、このあと20世紀もしばらくが経ったあたりから、「人知が基盤」というのが伝統である、いかにもオランダ人らしいところが、発せられることになる。
セザンヌも、マティスも、抽象という方向へ踏み出すにあたって、ひとや自然の風景など、実際にあるものをモデルにする方法をとったのだが、オランダ人モンドリアンは、途中からこの手法をやめてしまう。 そして考えたのは、極めて単純で基本的な形や色の組み合わせによって、精神表現ができまいかということであった。
本話の冒頭で、大きな画像でご紹介したのが、そのモンドリアンの到達点である。
抽象絵画 『赤、黄、青のコンポジション』。 白を背景にしたキャンバスに、交差する複数の黒い線が慎重に描かれ、囲まれた領域の一部などに、シンプルな色が塗られている。
とてもすっきりとした絵である。 Web空間にもよくなじみ、心地よい美しさを発している。 実際の作品もそれほど大きなものではないのだが、具象の名画にもしばしば見られるように、荘厳さといったものを含んだ
スケール感もある。
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ところで、この作品 『赤、黄、青のコンポジション』では、自分か一番観ている部分以外にある、黒の線が交わるところが、ほんのりとグレーに光って見えます。 実際にはそこも黒で塗られているわけなのですが、そのように見えるのは、「ヘルマン格子錯視」と呼ばれるものの一種で、ひとの脳内における情報処理の特性によって発生するのです。
ある一点を見ているつもりでも、その周囲にある特徴的なところにも認識を及ぼしてしまうのは、人類が文明を持つ以前、野生生活をしていたときに、身に着けた能力なのでしょう。 |
さて、このように色数も少なく、形体もシンプルではあっても、よく考えてセンスも良く仕上げられたものに対して、ひとは美しいと感じたり、価値を感じることを証明したモンドリアンであるが、その原理は、20世紀はもちろん、わたしたちが暮らす21世紀にも、広大な影響を与えて、活躍と発展を続けている。
そう、雑誌を開けば白地を背景にして 要所に配された色彩に、街を歩けば目に入る 企業のロゴマーク、商品のパッケージ、工業製品に、そして、建築のデザインにも... 続き/Page
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(C)
柳澤 徹 東京・池袋 2006・3 #2
『青、黄、赤のコンポジション - イケブクロ・ブギウギ』 写真 |
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東京・池袋にある「池袋西口公園」からの眺めです。 商業力のあるサンシャインシティが生みだす流れを拠りどころにするようにして、創造と破壊をしながら変貌をする池袋の東口方面に比べると、この西口方面は、広い土地に建てられた大きな建築物が多々ある、すこしだけ落ち着きもある雰囲気となります。
手前にある反射ガラスの外観の建物には、公園前の道路の向こうにある黄色の建物と、赤色の梁がある建物が映り込んでいます。
撮影を行ったときの向きから背面の方向には、アコースティックな音色を、とても美しく響かせるホールを持つ、東京芸術劇場があります。 |