古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第183話 2006/10/06公開 |
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■ 森の中を歩き回る。 広野をさすらってみる。 そうしたことからこころに芽生えてくるものを、スケールも大きな交響曲に創り上げる。 そして、その作品たちは、今日もわたしたちの想像力を大いに沸かせ、気分には幾度となく、新鮮さを吹き込んでくれる。
およそ百年の前、音楽家グスタフ・マーラーが、生涯を通して展開させた創作活動の成果は、人類にとっての大事な宝のひとつだろう... 続き/Page
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グスタフ・マーラー(1860-1911)作曲 交響曲第2番
ハ短調 「復活」 より |
作曲時期:
1888年1月〜1894年12月18日 初演: 1895年12月13日 ベルリン |
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グスタフ・マーラー。 1860年に生まれたオーストリアの音楽家。 ウィーンの音楽学校に学び、1880年、20歳のころ、ドイツの温泉保養地のひとつ、バート・ハルの小劇場にて、短期間のオペレッタ指揮者としてキャリアをスタートさせ、翌年には、ライバッハ(現スロベニアのリューブリアナ)の州立劇場の首席指揮者になった。
18人の楽師と14人の合唱団がコアのメンバーで、上演する曲目に応じて人員を集めるスタイルの劇場で、こちらも規模は小さかったものの、音楽面のレベルは高かったという。 そこでの「首席」とは、全てを執るが、同時に自ら実行することも意味し、マーラーは、企画段階から音楽上演に至る、もろもろの仕事をこなした。
1883年になると、マーラーは、オルミュッツの市立劇場の指揮者になった。 その老朽化した設備には苦労はするものの、指揮した『カルメン』が好評を博し、ドイツの大都市ドレスデンの舞台関係者からも注目されるところとなった。 その縁で、同年からおよそ2年、ドイツ・カッセル王立劇場の副指揮者や合唱指揮者を務めることになった。
1885年には、ドイツの学芸都市ライプツィヒの市立劇場での短期間の指揮を経て、チェコの大都市プラハのドイツ劇場の首席指揮者に就任した。
1888年からは、ブダペストのハンガリー歌劇場監督を務めたのち、1890年からおよそ7年間、ベルリンに次ぐ大きさを持ち、自由独立の気風で知られる都市ハンブルクの、市立劇場の指揮者として活躍することになる。
お聴きいただいている交響曲第2番「復活」は、マーラーが、大きな都市の劇場において活動するようになってのち、1888年に作曲が着手され、およそ7年後に完成へと至ったものである。 全曲通しての初演は、ドイツ・ベルリンにて1895年、マーラー自身の指揮と、ベルリン・フィルハーモニーの演奏によって成された。
■ 第1楽章 アレグロ・マエストーソ
弦楽器による生真面目で、厳粛な雰囲気で、交響曲がはじまる。 この冒頭しばらくの部分の一聴で、マーラーの本分の、かなりのところが分かるところである。
つまり、@ マーラーは、上述のように、各地の劇場指揮において並々ならぬ実績を積み重ねていて、オーケストラの楽器それぞれが持つ固有の響きと、つむげる意味について、知り尽くしていること。
A また、個々の楽器が独奏状態(オーケストラから裸になるような状態)でも、意味と情感をよく表現していくということを、自らの「音楽表現の方法」であると、作曲家自身が認識していること。
B このことがまた、現代音楽へともつながっていくような、現代との時代的な近さがあろうこと。
■ 第2楽章 アンダンテ・モデラート
1楽章から一転して、曲調は和らいで、くつろいだ田園風のものとなる。
時代も一転したのか、ときおり、遡りの表情を見せる。 古典派のベートーヴェン(1770-1827)あたりのものだ。 第九交響曲(の合唱歌手でもある筆者の場合)、その第3楽章を思い出したりしているうちに、ゆったりとした気分となっていき、こころが落ち着いていく。
■ 第3楽章 スケルツォ
抜き足差し足で、舞踏をするような、不思議な感じで音楽がはじまる。 聴いたこともないような、このたいへんな独創性には、感銘さえ覚えるものである。
だが、同時に、作曲家マーラーの、秘められたニヒルが、なにか伸び伸びと愉快な感覚と共に、開放されているようにも感じられるのは、この楽章の主題が、マーラーが作曲した歌曲集『子供の不思議な角笛』の中の、「池のほとりで、魚に説教をしたことで知られる、パドヴァの聖アントニウス」を題材にした曲と、同じメロディーを用いているからであるかもしれない。
■ 第4楽章
どこか広い場所、きっと広野のような所で展開されるだろう、清々とした、また、ロケット時代の現代の人間にとっては、宇宙的だとも感じられる、女声のソロが加わった短い物語である。
■ 第5楽章 (終楽章)
最後の審判を知らせるイカズチでも落ちるようにして楽章がはじまる。 轟々たる展開がされているうちに、どこか荒野のようなところに立たされているかの感覚になってくる。
だが、たとえどこからか地響きのような音が聞こえて来ようとも、正義の意思とでもいうのか、なにか「希望を引き連れた大きな力」に支えられて、不安というものは感じない。 むしろ、歩みを進めていくための勇気が、わたしたちの内に、ゆっくりと静かに満ちていくのである... 続き/Page
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(C)
柳澤 徹 『Resurrection
〜復活、主に第4・第5楽章』
フォトアート 2006・10 |
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その昔、筆者が中学生であったころ、美術の授業で、「レコードのオリジナル・ジャケットを創りましょう」ということになった。 それは面白いなあと感じつつ、記憶を探ったところ、このマーラーの交響曲第2番「復活」が良いだろうと思い付いた。
画用紙を正方形に切ったあと、水彩絵具にそれほど水を加えないで描いたのは、ほんのりとわずかに円弧を描く地平線のある荒野。 黄土色の平地は、西部劇に出てくる風景のようでもあるが、遠くに見えるのは、ツタが絡まっている、ロマン主義的なギリシア神殿風の廃墟。
空は赤みを帯び、若干の雲がたなびく。 地平からは、白く輝く、それは大きな太陽が、その下弦をまだ隠しながら昇りつつある。 荒野には、まばらに10人ほどのひとたちが、日の出のほうを見ながら、小さなシルエットで立っている。 その影は、驚くほどに長く、こちらのほうへと伸びている、というものであった。
当Web美術館が繰り出す、総合芸術表現シリーズ「世界芸術列伝」の制作手順は通常、筆者によるオリジナル作品が先に存在し、そこからイメージが膨らんでいく過程で、語るべき芸術家やその作品、テーマが決定されていくのであるが、今回の第183話ではまれにも、語る芸術作品(マーラーの復活)のほうが、先に主題として決まり、それに触発される形で、オリジナル・ビジュアルアートを創るところとなった。
清々として流れるような「希望」の表現を試みたが、「復活」の女声ソロがある付近と、イメージの調和もあるのではないだろうか?
ところで、本文執筆のための調べ物をしているときに、はじめて知ったのだが、マーラーは楽譜で、交響曲第2番「復活」の終楽章は、「スケルツォのテンポで、荒野を進むように」と、指定しているそうである。