古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第184話 2006/11/03公開 |
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■ こんな夢を見た。
のんびりとした正月休みも、そろそろ半分が過ぎて、食べた餅の回数も、しかとは分からなくなった。 人間とは、同じことを続けて反復すると、身体から「気」というものが抜けていくというのか。 それではいけないので、滅多にはしないことを、することにした。
すなわち、いかにも正月らしいことに取り組んでみようというわけだ。 それならば、最低でも1年はやったことのない珍しいことをすることになるので、気分もリフレッシュ、餅だってもっと食べたくなるだろう... 続き/Page
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オディロン・ルドン(1840-1916) 『フラワーズ(花)』
油彩 1903年 66×54cm ザンクト・ガレン美術館(スイス)所蔵
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年の暮れに片付けをした矢先の押入れの中身を、ごそごそと引っ張り出してみても、およそ見つからなかったので、物置のほうを探してみると...あった。 凧揚げの凧である。 白の地に、なにやらずいぶんと目出たそうな絵が描いてあるので、およそ正月に以外の時期に揚げるしろものではないが、いったいどれほどの年数、ここにしまったままにしていたかは、見当がつかない。
木の箱の中に納まっていたのだが、本体に湿っ気た様子もなく、昔のものとは丈夫に作ってあるからなのか、糸の張りもしっかりしていて、たるんだ様子もない。 さらに、驚くのは、凧の白地が、突いたばかりの餅のように、白さを保っていることだ。 つまるところ、自分がかろうじて保持している記憶の、この凧に関する最後の部分と、イメージ的には寸分とたがわなく、今ここにあるということなのだ。
なんともよく出来た木箱であるということなのか、さてまた、それとは知らぬうちに、物置内の配置かなにかで、ピラミッド・パワーでも形成されていたというのか?
しかし、抱いたそんな違和感も、凧を探すために、身体をひと動かせしたあとでは、発見することができたという喜びでもって、上書きされてしまうのだった。
今日は天気が良く、空は青々と晴れている。 風は穏やかで、ほほをすり抜けていくそれは、むしろ気持ちが良いように感じられる。 以前、揚げたことのある場所を覚えているので、そこへと向かった。 町の様子が、いつもより穏やかであるように見えるのは、正月であることの枕詞からの連想ではなく、実際みんなが平穏な気分にあることが、じわりと反映された結果なのであろう。
凧揚げの場所とは、名の知れた山脈の西側にあるのだが、そこはまるで、大巨人が取り扱う農具かなにかで、山が大きく深く、くさび状に切り取られている谷のようなところで、幅はおよそ1キロメートルくらい、奥へと行くに従って狭くなるものの、長さはおよそ5キロメートルにも及ぶ。 こうした土地と、その周囲広範の地勢の作用によって、その谷には絶えず風が集まる性質があるので、凧揚げに適した場所として、とても有名なのだ... 続き/Page
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「風の谷」に着いてみると、その名にたがうことなく、なかなかと思える風が吹いていた。 もうすでに、たくさんのひとが集まっていて、それぞれ自分の凧を、晴れた空に向かって、想い想いに揚げている。 とても長い糸が、わずかにたゆみつつ、視力の限界から失せた先に、青をバックにして、赤、黄、黒と、凧たちが佇んでいる。 こうした自由な風情が、凧揚げというもののいいところだ。
それではと、適当な場所を見つけて、自分も携えてきた凧を揚げはじめた。 風が背中のほうから、いい具合に吹き続けてくれているので、すこし走りを入れたあと、糸を引っ張ったり、緩ませたりしてみると、突きたての餅のように白い地の凧は、浮上を開始したのだった。 そして、ある程度の高さまで揚がって行くと、地上近くよりも安定した風を捉えるところとなっていった。
大地によって生じる重力と、大地によって集められた大気が生む揚力とが、協調してこの瞬間を形成しているわけだが、その生き物のものであるかの鼓動かなにかが、長い糸を伝わって指先に届いてくる感触は、ただに紙と木でできたものを宙に浮かせているということを遥かに超えた、自然に内在する真理を体感させる、深遠なものであり、過ごしている時間は、至福の香りさえしてくるものだった。
「いい凧をお持ちですね! 太陽の光が当たって、白が輝いていて、素敵ですわ」
白い凧のことが語られているので、自分に話しかけられていることが理解できた。 それゆえ、ひとの感覚に素直に入ってきた、そのさわやかな声がしたほうを向いてみた。 そこには、ひとりの女性が立っていた。
「どうも、ありがとう。 この谷は、いつもいい感じの風が吹くので、凧もそこそこ揚がっていきます。 天気がいいので、たしかに白の色がきれいですね」
と、自分は答えた。 微笑みを絶やさない彼女は、言った。
「ほんと、きれいですね。 こちらには、ときどき来られていらっしゃいましたか?」
「あ、いや、ここにいい風が吹くことは知っていますが、滅多には来ません。 この前いつ来たかも、はっきりとは覚えていません。 あなたは、この谷に、よくいらっしゃるのですか? 凧を揚げに」
「ほほ、わたし、実は風の谷の割と近いところに、住んでいるんです。 子供のころは、それこそ毎日のように、ここに来ては凧を揚げていましたわ。 だけど、今はこうしてときたま、来ているひとたちが揚げている様子を、眺めるのが好きなんです。 凧揚げのドラマ。 そう、この谷には、いつもそうしたものが、たくさんあるんですの」
これを聞いて自分は、この女(ひと)には、因習には囚われない洞察力といったものがあると想像した。 ゆっくりとうなずく自分に、彼女は続けた... 続き/Page
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オディロン・ルドン 『ヴィオレット・エイマンの肖像』
パステル 1910年 72×92cm クリーヴランド美術館(アメリカ)所蔵 |
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「ところで、わたし、今はもう死んじゃった祖母から、昔聞いたんですけれど、この谷には伝説があって、あるひとが、ついさっき突いたばかりの餅のように白い凧を作って揚げていたら、それを見つけた月のうさぎが、どうしても欲しがって、念力やらを使ってそれを取ろうしたらしいの。
そのせいで、その凧はグイグイと引っ張られて、それがまた、面白いようだったんで、そのひとも、どんどん糸を買ってこさせて、三日三晩、次々につないでいったらしいの。
そうしているうちに、とうとう凧は、こっちから見ると、米粒より小さいほどにもなって行って、次に月がその近くを通ったときに、あせった月のうさぎが、きねでもって引っ掛けようとしたんだけど、手元が狂って凧の糸のほうを切ってしまったの。 糸だけが延々と、地面のほうに落ちてきたと言うわ。
みんなは、それでもたぶん、凧のほうは月に着いたんだろうって、この三日間、お祭りのように楽しかったなあなんて言ったりしていたんだけど、ほんとうはその白い凧、月には着いていなかったの。
次の夜からだったらしいわ。 今はシリウスって呼ばれている冬の一等星が、白く明るく輝きだしたのは!」