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アンヌ・ルイ・ジロデ・ド・ルシー・トリオゾン(1767-1824)
フランソワ・ルネ・ド・シャトーブリアンの肖像
カンヴァスに油彩 120×96cm 1809年
サン・マロ歴史民族博物館(仏国)所蔵
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古代ローマの遺跡を背景にして、ツタ類が這う石垣にやや体重をかけた姿勢で、ひとが知覚できる距離というものがあるとしたならば、その遠くと近くの中間といったあたりへと視線を投げかけている男性が描かれている。 風は、その髪をワサッと乱しながら吹き抜けていく。
このなかなかの大きさを持つ絵は、「ナポレオンとヴェルサイユ展」
(江戸東京博物館 会期:2006/04/06-2006/06/18)の展覧会構成作品ひとつとして日本に来ていたもので、18世紀末から19世紀初頭にかけて活躍したフランスの画家、アンヌ・ルイ・ジロデが描いたものである。
人間の描き方からすると、やはり同展のために来日していて、世界的にもよく知られている
とても大きな作品『サン・ベルナール峠を越えるボナパルド』(1800-01)を描いた画家、ジャック・ルイ・ダヴィッド(1748-1825)が想起されるように、様式的には「新古典主義」にて描き進められている。
1789年にはじまって、普遍的原理として、うばわれることのない人間の諸権利を規定した「人権宣言」を行い、その後10年にも及ぶことになったのは、波乱の「フランス革命」。 ダヴィッドが『サン・ベルナール峠〜』で描いたのは、その混乱を収拾したナポレオン・ボナパルド(1769-1821)の、時代と国民が望んだヒーローの「偉大さのイメージ」であった。
それでは、今回ご紹介の肖像画のほうは、どうであろうか? ナポレオンがしばしばそう描かれるように、胴衣の中へと片手を差し入れているが、「英雄」というのとはまた異なった雰囲気である。
しかし、かつらを被った姿で描写される音楽家のバッハのあとの時代、つまり本文にて主に言及されている時代の音楽家、ベートーヴェン(1770-1827)が、髪を振り乱したように描かれているのが、20世紀的にもカッコイイ感じがしたように、21世紀初頭の10年的に言っても、なかなかの新鮮味といったものがあるではないか。
本肖像画に描かれているのは、小説家である。 その名を、フランソワ・ルネ・ド・シャトーブリアン(1768-1848)という。 代表作に、『アタラ』、『ルネ』(1802年)がある。 この人物が書いた小説が、いかなるものであったのかに、興味を持たれたことと推察するので、1801年にフランス国内で発表したところ、たいへん評判になったという『アタラ』の冒頭部分を、短くご紹介しよう。
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その昔フランスは、ラブラドルからフロリダに及び、また、大西洋の岸辺から上部カナダの最も遠い湖に到る広大な領土を北アメリカに持っていた。
同じ山中に源を発する四つの大河がこの広漠たる地域を分けていた。 すなわちセント・ローレンス河は東に流れて同じ名の湾に入り、西の川はその水を名も知らぬ海にもたらし、ブルボン河(今のネルスン河)は南より走って北の方ハドソン湾に流れ、そしてメシャスベ河(ミシシッピ河の本名)は北に発して南に到り、メキシコ湾に落ちる。
この最後の河は一千里をはるかに超える流れの中に、合衆国の住民が名づけて「新しき楽園」と呼び、また、フランス人がルイジアナという優しい名を残した風光明媚な土地を灌漑する。 ミスリ、イリノイ、アーカンソー、オハイオ、ワバッシュ、テネシーなどメシャスベに朝する数知れぬ多くの河は、その泥土をもって地を肥やし、その水をもって豊かにする。 冬の洪水でこれらの河の水かさが増し、あらしが森を根こぎにすると、引抜かれた木々はみなかみに集まる。 やがて、水底の泥が木々を漆喰のように塗りつけ、蔦葛が鎖のようにからめ、植物は八方に根を据えて、この廃墟を堅固にかためる。
(中略)
天地の造り主の手で、この隠れ里に住めよと定められた夥しい動物は、この地に夢のような美と生命とをうちひろげる。 並木の端から見ると、葡萄に酔った熊が小楡の枝の上によろよろしたり、馴鹿が湖水に浴みする。
(中略) メシャスベを発見してからのち、ビロクシと新オルレアン(今のニューオリンズ)に定住した最初のフランス人たちは、インディアン族の一派で、この地方におそろしい勢力を持つナッチェズ族と同盟を結んだ。
(中略) 中のシャクタスという老人は、歳も長け、知恵もあり、世故にも通していたので、この広野の民族の首長であり、敬愛の的でもあった。 すべての人と同じく、彼もまた、不幸の数々を経てその高徳を造ったのである。 ただに「新世界」の森や林が彼のためには不幸な土地であっただけでなく、彼はフランスの地でさえも悲惨な目に遭った。 酷い濡衣を着て、マルセイユで船監獄に投ぜられたが、後に赦されて自由の身となり、ルイ十四世に謁見を賜わり、当代の偉人たちと親しく言葉をかわし、また、ヴェルサイユ宮殿の式典にも参列して、ラシーヌの悲劇を見物し、あるいはボスュエの葬礼説教も聞いた。
シャトーブリアン作 畠中敏郎訳 『アタラ ルネ』 1938年発行 岩波文庫より引用 |
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すこし本好きな方なら、少年少女のころに接したことがあるかもしれない、ミシシッピ川流域を舞台にして、マーク・トウェーン(1835-1910)が描いたアメリカ文学の名作
『ハックルベリー・フィンの冒険
』(1884年)を、記憶から呼び起こさせるような、ひたすらに広く、神々しいほどにきらめくような生命を育む自然を讃えつつ、物語ははじまる。
ところが、間もなく、ソフォクレス(前469頃-前406頃)によって、古代ギリシア演劇に謳われた、娘のアンティゴネに導かれる盲目のオイディプスのように、いまでは娘のひとりに引かれる老境のインデイアン
「シャクタス」が語る、自身のとても若い日に体験した愛と波乱の出来事が、メインのストーリーであることが明らかになっていく。
シャクタスは、移民のキリスト教徒の恩により少年のある時期を過ごしており、内面に西欧的精神を育みつつも、民族の血が広野や森を呼ぶ声がやがて勝るところとなり、恩人に感謝の念をひたすら表したあと、冒険の旅にでる。 だが、その誇り高き旅を満喫しはじめて間もなく、異なる部族の隊によって捕らえられるところとなり、なんとその命は、風前のともし火となる。
この窮地に現われて、彼に助力したのが、隊長の美しき娘「アタラ」であった。 彼女は、そのときは自分でもなぜかは分からなかったが、シャクタスに対して強い好意を抱いたのだった...
このようにして、異国情緒も溢れるこの物語は、文学者シャトーブリアンの、外面と内面とに、自在のスケール感覚でズーム・イン/ズーム・アウトする明晰な文章表現によって、広大な自然を舞台にしつつ人々の内面をしごく丁寧に扱った、かなりしっかりとした出来の映画作品を観ているかのごとく、展開していくことになる。 そしてそれは、先の肖像画を観たときに感じる、なにか新鮮な印象さえしているのである。
フランソワ・ルネ・ド・シャトーブリアンは、1768年、フランス・ブルターニュに生まれた。 20歳になると軍に入隊し、フランス革命の初期をパリにて体験するところとなった。 しかし、王党派にも革命派にも属すことなく、革命の3年目にあたるころにはアメリカ合衆国へと渡り、東部の海岸を旅行した。
革命4年目になって帰国し、このときは王党派に属したが、負傷するところとなり、イギリスへと亡命した。
そして、フランス革命が、ナポレオンによって収拾されたころになって、ひっそりと帰国して書いたのが、この小説『アタラ』だった。 時代の思潮に合致することろがあった『アタラ』は、フランス国内ですこぶる好評を博したので、翌年1802年には続編にあたる『ルネ』を出した。 そうした活動が注目され、やがてナポレオンの外交官としても、活躍するところともなる。
さて、21世紀の感覚においても、「内面をしごく丁寧に扱った、かなりしっかりとした出来の映画作品を観ているかのごとく」と感じられる小説『アタラ』であるが、それほどまでに当時のフランス国内で受け、そして、どんな価値を世に生んだことになったのだろうか? ここからのところは、第178話においても、佳境の部分となる... 続き/Page
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(C) 柳澤 徹 東京・池袋 2006・3 #1 写真
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澄んだ空にその生命を伸びやかにする樹木を表した写真作品です。 太陽が差している正面の下方から撮影したことにより、光がまっすぐ当たっている縦方向の幹には影がない一方、側面方向に伸びる幹にははっきりとした影が下部に表現されることになりました。
個々のPCモニターの特性にもよりますが、青と白と黒の組み合わせによるこの強いコントラスト効果によって、元来2次元のスチル写真のはずなのに、枝々が飛び出たり、ひっこんだりしているかの、3次元的立体感が見られます。 もしかすると指を差し入れられるのかとも思う、めずらしい写真です。 v^ー゚) |
かつて、14世紀から16世紀にかけて展開された思想・芸術・学問など文化的領域の革命が、「ルネサンス」であった。
人間を美しく優雅に描いたサンドロ・ボッティチェリ(1444または45-1510)、その力強さが芸術のひとつの極みをも形成したミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)、そして、後世へともつながる科学的精神を培ったレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)...
このルネサンス運動が起きた下地には、教会の統制下にあった中世の封建社会が崩れをみせ、都市国家による商業活動が活発化していたことがある。 そして、社会思潮としては、中世の時代と決別が大きなテーマとなっていた。
時が進むと、商業活動の規模がより大きなものへと発展し、それに対応するように「絶対王政」が強化されていくことになる。
17世紀後半になると、物理学者のアイザック・ニュートン(1642-1727)によって「万有引力の法則」が導き出された。 この重要な原理により、ひとびとは、それまで神の摂理とされていたこと、つまりこの「宇宙の法則」が、人間の手によって解明できるだろうことに、ますます確信を持った。
そして、人間の理性をこそ、正しく活用すれば、知識、そして技術、ひいては社会道徳や価値観も、果てしなく進歩することだろうと考えるようになった。 そこで社会に蔓延する迷信などを消し去りつつ、前進を促していったのが
「啓蒙思想」であり、18世紀の文化的基調となった。 今日は、昨日より進歩した。
しかし、この啓蒙によって、ものごとの理解と 富の蓄積が進んだ社会は、やがて行動を起こすことになる。 それが
「フランス革命」であったのだ。
その、10年に渡る混乱が収拾されてみて、19世紀がはじまったとき、ひとびとは単に啓蒙されるということ以上の価値を渇望していた。 そのフランスに、登場したもののひとつが、やや革命以前の懐かしき香りを漂わせながらも、その渇望に応える斬新なスタイルの小説、シャトーブリアンの『アタラ』だった。
それは、「じつは、人間の理性だけでは割り切れないものが、世の中にはあるものなのだ。 また、人間とは、複雑で多面的な存在であるのだ。」と考える芸術運動
「ロマン主義」の成立のときであったのだ。
@ 自然の中に神々しさを見出し、宗教と似たような体験をする。
A 古代ギリシア・ローマが残したものへの関心と理解を示す。
B 進歩を中核にして人類全部を考えるよりもむしろ、個々の国家や個々の民族がもつ独自性や歴史性に重きを置く。 |
「ロマン主義」には、多様な形態があるものの、これら3つがとくにその特徴を示すものとされている。 シャトーブリアンの『アタラ』は、これらをしっかりと内包している。
さて、21世紀に入ってから、わたしたちは日本で「昭和ブーム」を体験したが、フランスにおける19世紀初頭の「ロマン主義」の成立時のことと、なにがしかの背景的共通点もあったことだろう。 2005年公開の映画には、『ALWAYS
三丁目の夕日
』があったが、そこで建設中の東京タワーは、不思議と、古代遺跡的な印象を携えていた。
また、文化も多元的であった20世紀の後半においては、ブライアン・フェリー(1945-)がヴォーカルを担当したイギリスのロック・グループ
「ロキシー・ミュージック」(1971-)が、とくにアルバム『アヴァロン
』(1982年)で、ロマン主義色を濃く発揮した。
アメリカにおいては、1984年に世界的にブレイクした、天才ミュージシャン「プリンス」(1958-)と
ザ・レヴォリューションによるアルバム 『パープル・レイン
』も、その音楽の本質を見ることができたなら、「内省的」、「昼よりも夜を好む」、「個人の知的・感情的な成長プロセスを重視する」といった点で、多分にロマン主義であることが分かるだろう。
(2005年のことになるが、カラオケで 『パープル・レイン』を選曲したところ、歌えた自分に驚いたが、なかなか受けたことには感動した)