古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第185話 2006/12/01公開 |
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画家
ギュスターヴ・モロー スフィンクスとオイディプス |
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■ アフリカの赤道直下には、この大陸最大の湖がある。 19世紀半ばに、イギリスの探検家によって発見された「ビクトリア湖」である。
そのたゆやかな湖から溢れ出る大量の水は、熱帯とそれにつづく砂漠を突きぬけ、不思議なくらいに真北方向へと進み、遥かかなたの地中海へと流れ出している。 その道程は、5,500キロメートル。
その水の流れの名は、ナイル川。 古来より、季節が夏になると水量が増す。 それゆえ、土地の高低差の小さい地域では、毎年夏に川が氾濫するのだった。 しかし、川上から運ばれてきた土は肥沃であり、新たに得た養分にて農耕地は潤うのであった。
「エジプトはナイルの賜物」と語られるのは、このことによる。
ナイル河口の広大な三角地帯を、扇に見立てたとしたならば、その要にあたるあたりに、エジプトの現首都カイロがある。 その西の方角、川の氾濫がもはや及ばなくなる境界の向こうには、ギーザの巨大なピラミッド群があるが、その手前にて、カイロの方向に顔を向けて、悠然たる姿で有るのは、「大スフィンクス」である。
果てしない年月の風化にさらされながらも、いまだ神秘を保持する大石像スフィンクスだが、さて古代ではどのような存在であったのだろうか?
スフィンクスは、長い文明の歴史を持つエジプトにおける、古王朝時代(紀元前28〜23世紀)に誕生した。
上述のギーザの大スフィンクスに限らず、その像に共通しているのは、身体が「百獣の王」と言われるライオンで、頭の部分は人間であることである。 この人間とは、国王ファラオを模しているものであった。 きちんとした居ずまいをしていて、粛然とした印象を持つ。
つまり、古代エジプトにおける「スフィンクス」とは、王や神を守護する意味を持った、神聖なる存在であったわけだ。
ところで、キリスト教誕生以前の古代世界を見回すと、多神的な宗教観を持っていた文明が多いことがすぐ分かる。 古代エジプト文明しかり、古代メソポタミア文明しかり、古代ギリシア文明しかりである。 そして、それらの文明間を超えて、共通性がある神や存在もある。
これら文明の中でも、現代文明においては本流である「民主主義」を力強く推し進め、そういった風の感覚がわたしたちにとって親近感があるのが「古代ギリシア文明」であるが、そこでも「スフィンクス」は存在した。
ひとは頭を、やわらかくしているべきという見本のようでもあるかもしれないが、古代ギリシアでのスフィンクスの容姿は、「身体はライオンで、美しい人間の女性の頭部と、乳房のある胸部を持ち、背からは一対の鷲の翼が生えている」というものである... 続き/Page
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ギュスターヴ・モロー(1826-1898)
『スフィンクスとオイディプス』 油彩 1864年
206×105cm メトロポリタン美術館(米国)所蔵
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むかしむかしのことだった。
ギリシア中部にある都市国家テーバイは、神ヘラのひんしゅくを買ったため、スフィンクスを遣わされるところになった。 スフィンクスは知性が高く、ゲーム好きであったが、ものごとの程度を知らず、テーバイ近くの山の上に陣取っては、通るひとに「謎」を出題し、それを解くことができない場合、こともあろうか捕まえて食らっていた。
テーバイのひとたちは、「もし謎さえ解けたならば、スフィンクスは退治されることだろう」と、予言をするものの、謎が解かれることは、ついぞなかった。
こんなときに、偶然ここを通りかかったのは、ひとの中にあっては抜きん出て聡明な青年、オイディプスであった。 彼は旅の途中であったのだが、やおらスフィンクスは、謎を出題した。
「ひとつの声を持ちながら、朝には4つ足、昼には2本足、夜には3つ足で歩くものは何か答えよ。 その生き物は、すべての生き物の中で、最も姿を変える」と。
なぜ自分に対して、謎が出されたのかは理解できなかったものの、遭遇したこの事態を、瞬時に掌握したオイディプスは、しばしの熟考ののち、慎重に答えた。
「スフィンクスよ。 それは、『人間』である。 幼年期はハイハイをして動き、青年期には2本の足で駆け、老年期には杖を突く」
こうして、テーバイのひとたちが先に行った、「もし謎さえ解けたならば〜」という予言は実現され、出題を完全正解されたスフィンクスは、退治された。 Page
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(C) 柳澤 徹
『ベルガモンの古代都市遺跡〜白いコリントス式円柱も美しいトラヤヌス神殿』
2000・11 写真
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人口20万人を擁した古代都市ベルガモン(ベルガマ)は、第2のアテネとも称され、芸術の育成・保護にも力を注いだ。 その有する図書館の蔵書は20万冊に及び、エジプトのアレキサンドリアのそれと並ぶものだった。 紀元前3世紀から、8世紀に渡って栄えた。 現在のトルコ西部にある。 |
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