古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第139話 2004/07/30公開 |
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映画監督 ルネ・クレマン 禁じられた遊び/太陽がいっぱい/パリは燃えているか |
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■ フランス映画は、1950〜60年代に、特に高い芸術性を放った。
その中盤にかけて、物語の構成と、人間描写に優れた作品を生み出していったのが、脚本家でもあり映画監督の、ルネ・クレマン(1913-1996)である。
第2次世界大戦が終結すると、フランスは国策として、映画の振興をはじめる。 1946年には、国立映画センター、そして、カンヌ映画祭を設立、1948年には、映画保護法を制定した。
クレマンも、終戦まもなく、セミ・ドキュメンタリー短編を創った。 それは、第1回のカンヌ映画祭で、グランプリを受賞する。
1951年になると、リアリズムの中にも、詩情が溢れ、涙を誘う映画、『禁じられた遊び』で、世界的にも有名になる。
また、孤独な青年の野心を描いた、『太陽がいっぱい』(1960年)は、はまり役のアラン・ドロン(1935-)の魅力と相まって、大ヒットとなった。 ニーノ・ロータが作曲した、哀愁漂う音楽も、ひとびとの耳に残ることになる。
そのクレマン監督が、1966年、世に送り出した大作が、『パリは燃えているか』だ。 前回の世界芸術列伝でフィーチャーした『大列車作戦』と同じ、1944年8月のパリが舞台。
この美しい町の破壊を防ぎ、開放することに係わった、数え切れないほど、たくさんのひとたちの姿を綴った、感動の群像劇である。
キャストも、シャルル・ボワイエ、アラン・ドロン、ジャン=ポール・ベルモンド、レスリー・キャロン、イヴ・モンタン、シモーヌ・シニョレ、ゲルト・フレーベ、オーソン・ウェルズ、グレン・フォード、カーク・ダグラス、ジャン=ピエール・カッセル、ブルーノ・クレメル、アンソニー・パーキンスなど、実に多彩だった。
この映画を、はじめて観たのは、テレビ放送で、少年のころだった。 後には、アテネ・フランセに、しばしば足を運んだりして、ヌーベル・バーグや、フィルム・ノワールなど、50〜60年代のフランス映画は、ずいぶんと観た。
ところで、パリの開放の後に、立場が逆転して、東西へと国が分断されたのは、ドイツだった。 しかし、45年あまり後の、1989年、ベルリンの壁は崩壊した。 喜ぶ市民の姿と、『パリは燃えているか』
が、ダブった。
そのとき、この映画に、リアリティを...強く感じたのであった... Page
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(C) 柳澤 徹 裸婦 2004・7 #5 木炭による素描に彩色 |
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