1890年代のアメリカ、西部開拓時代の末期が舞台。 ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが演じるガンマンは、お尋ね者だ。
ど派手な列車強盗をしたりと、やっていることはとても誉められたものではないのだが、巨大な利益集団に対して、くったくなく挑む姿が、監督の優れた描写力によって、その個性的な内面までもが綴られていく。
埃っぽい西部にありながら、きらめきを見せる二人と係わりを持ち、ともに行動するようになったのは、キャサリン・ロスの演じる、語学が得意な女性教師だった。
『雨にぬれても』に乗せて、三人が牧場でじゃれ合う、開放的なひとときは、幸福感に包まれていた。
この映画が作られたのと同じころ、日本でも、画期的作品のパイロット版が作られ、その2年後、大人向けTVアニメ・シリーズとして放送がはじまった。 モンキーパンチ(1937-)作、『ルパン三世』である。
大泥棒にして名探偵、紳士にして無頼漢、冒険家にして哲学者、大富豪にして庶民の味方...フランスの作家、モーリス・ルブラン(1864-1941)が書いた『怪盗ルパン』シリーズの主人公、アルセーヌ・ルパン(1874-?)、その三代目という設定だ。
ドイツ製のピストル、ワルサーP38を携えながらも、彼のお爺ちゃんのように、また、ある時点までの『明日に向かって撃て!』のニューマン演じるブッチ・キャシディのごとく、極力ひとを撃たない。 明晰な頭脳を持ち、神出鬼没、変装の名人でもある。
相棒は、『明日に向かって〜』のレッドフォード演じるサンダンス・キッドのように、射撃の名手でダンディな、次元大介(じげん
だいすけ)。 色を添えるのは、謎の女性、峰不二子(みね ふじこ)だ。
そして、金属をも真っ二つにしてしまう斬鉄剣(ざんてつけん)の使い手、十三代目、石川五右ェ門(いしかわ
ごえもん)が、ファースト・シリーズの割と早い時期に現れる。
初代五右衛門(?-1594)といえば安土桃山時代の盗賊で、豊臣秀吉によって釜茹での刑となったが、封建身分制度の江戸時代に、権力に抵抗する義賊という人物像がつくられて、浄瑠璃や歌舞伎が好んでテーマにした。
その十三代目は、はじめルパンのライバルとして登場するが、次第にお互いの能力と気質を認め合い、仲間となる。 状況は異なるものの、『明日に向かって〜』の自転車の場面を、なんとはなしに彷彿とさせる、愉快なシーンであった。
このスーパー・チームは、悪役たちに、ことごとく勝つ。 だが、彼らが手にしたものは、全て消えてゆく...
さて、ここで一句。
五月雨の 降り残してや 光堂
(さみだれの ふりのこしてや ひかりどう)
松尾
芭蕉 (1644-1694 まつお ばしょう)
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「古池や 蛙飛び込む 水の音」を詠んだとされている、江戸深川にあった庵をひとにゆずって、1689年、芭蕉は門人曽良(そら)を伴い、みちのくへと漂泊の旅にでる。
奥州の平泉。 平安時代後期には、藤原三代が、1世紀に渡って、黄金輝く大勢力を築いた場所だ。 現在の岩手県の南部にある。
芭蕉がここを訪れたのは、その滅亡から、まさに500年目にあたるときであった。 芭蕉がこの年を選んだのは、旅のロマンを高めるためだったのだろう。
『奥の細道』。 芭蕉はこの旅を通して、俳諧の世界にひとつの概念をもたらす。 それは、「不易流行(ふえきりゅうこう)」...
「流行」とは、時代や環境によって突出してくる、変化のことを指す。 個性のきらめきなどが、これに当たろう。
そして、「不易」とは、ひとのこころと社会を貫き、また、時をも超えて生き続ける、真理のことである... Page
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柳澤 徹 神社 2003・12 #3 CG |
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