■ 追伸
2005/07 アメリカの報道メディアによると、イラン次期大統領、アフマディ・ネジャド氏が、1979年に起きた、イランでの米大使館占拠事件における、リーダーのひとりだったかもしれないという。 かつて人質となった複数の人が、映像や写真を見て、そうだと言っているのだ。
純粋な知的興味から、このことを分析してみたい。 つまり、以下は、何ら特定の意図も、立場もあるものではない。
2005年6月末、事前の評判を覆し、ネジャド氏がイラン大統領選挙で多くの票を集めたことは、ご存知のことだろう。 その結果報道を、筆者がテレビで観たとき、「どこかで見たことある顔だなあ」と思った。 その印象を持たせるものは、何であったかを、あらためて考えたら、「親しみ」であることが、すぐ理解できた。 むろん、日本でこの感じの人がいる訳ではないが、イランであったならば、街角を曲がると、そこにいそうな感じがしそうだ。
先日 公開された映画『宇宙戦争』で、とても特徴的なことがある。 スピルバーグ監督は、俳優トム・クルーズを、ハンサムなヒーローとしてではなく、どこの街にもいそうな普通のひとに近づけて描こうとしたことだ。 このことで、鑑賞者は、親近感を抱き、感情移入を、より楽しめるようになる。 (前世紀に比べて、個々人が、より重要になったように見える、21世紀的なヒーロー像のひとつでもあることだろう)
2000年の米大統領選挙で、ゴア前副大統領より、ブッシュ息子のほうが、親しみを集めたように、今回のイランの選挙でも、こうした力学が、ある程度働いたのではないかと思う。
ここで、もうひとつ興味深いことがある。 この、H.G.ウェルズの小説『宇宙戦争』は、俳優・脚本家・映画監督として知られるオーソン・ウェルズによって、1938年のアメリカで、ラジオ劇化されたが、その演出がとてもリアルだったことから、実際に火星人がやってきたと思った人が続出し、パニック的現象が起きた。
スピルバーグ版『宇宙戦争』が公開されるやいなや、ネジャド氏が米大使館占拠のリーダーのひとりだったと、主張する人たちが現れたことも、1938年のラジオ劇のように、この小説に関する、語り草となるのだろうか?
■ 追伸
2006/01 当Webミュージアムを、継続的にご覧いただいておられる皆様におかれては、芸術家が、芸術を専門的に扱っていることに匹敵するほどの関心を持って、ひとの歴史について注視していることに気が付かれない方はおられないだろう。
その視線は、多くの方々と同様、10年をひと単位としていることが多い。 日本語でいうところの「10年ひと昔」、英語でいうところの「ワン・ディケード」だ。 この感覚を持ってして、わたしたちがいま経験している「21世紀はじめの10年」について、新たに分かってきたことを含蓄して解析を試みると同時に、わたしたちの未来について想像力を働かせるわけである。
そして、この「10年単位の知覚」といったものは、その行使において、「研究しておくべき10年」を持ち合わせているだろうことは、多くの方々と同じである。 それが、1960年代であったり、1970年代であったり、1980年代、そして1990年代であったりもするし、それら以前の場合もある。
だが、この2000年代について、歴史的知覚を適用するとき、意識から抜け落とせないだろう重要な10年もあることは、賢明な方々におかれては認識ずみのことだろう。 1930年代のことである。
上記、2005年7月の追伸時における分析が、正しかったことは、その後、明らかとなったが、このことの教訓は、いみじくもロシアのプーチン大統領のいわく「誤りのないよう、正確に取り扱う必要がある」という言葉にも、集約されているだろう。
ただし、大統領もそうだが、なにも報道ということについて、そうだとここで、いっているのではない。 賢い皆様と同じように、その後の動きに対しては、人類の平和な未来とその繁栄のために、世界が、正確に取り扱う必要があるだろうと、思うところである。 |