■ 男性をモデルに、クロッキーをした。 描画時間は、5分であった... 続き/Page
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モデルとなったひとが、ここに描かれているような、少しうつむき加減のポーズをとったとき、19世紀の芸術家、ロダンが創った彫刻
『カレーの市民』のことが、ふっと頭に浮かんだ...
大陸のフランスと、島国のイギリス、この2国は、ドーバー海峡のところで距離的に近くなっている。 中でも、もっともイギリスに近いフランスの町は、カレーだ。
20世紀、第2次世界大戦中、フランスを占領していたドイツ軍は、イギリスのほうから、いずれはやってくる連合軍の大陸侵攻が、海を越えるのが容易な場所、カレーから始まると考えていた...
時は1343年、中世、英仏100年戦争の初期。 フランスに攻め込んできた英国軍により、カレーの町は包囲攻撃の真っ只中にあった。 そして、市民の代表らが、城門の鍵を持参して降伏してくれば、町の破壊をやめると告げられる。
この時代のことであるから、代表らは命を奪われることになろう。 鍵を持ち、死へと向かわざるを得ない男たち...
ロダン(1840-1916)は、彼らのどうしようもない苦悩を、群像に刻んでいる。
ファースト・キャスト(最初の鋳造品)は、今もカレーの市庁舎の前に設置されているが、さらに鋳造したものは、東京上野の、国立西洋美術の前庭にあるので、ご覧になった方も多いのではないだろうか?
このカレーの陥落から、86年経ったのち、フランスには、ジャンヌ・ダルクが現れ、転機をもたらす。 勢いを盛り返したフランスは、しだいに英国軍を駆逐していき、ひと世紀をも超える戦争は、1453年に終結することになった。
海を越えるための距離の近さと、過去の史実からみて、第2次世界大戦の連合軍による大陸侵攻は、このカレーからはじまると考えられていたのも、不思議ではなかったことだろう。
しかし、連合軍は意表を突いて、ずっと西のほうにある、防御の手薄だったノルマンジー海岸から、上陸したのだった。 それは、6月6日、本文を執筆している日
(2003/06/06) から、ちょうど59年前のことであった。
さて、時代は進み、もっと合理的な思考が可能になると、欧州の国々は、この地域を一大経済圏にして、共に繁栄することを目指す。 1980年代には、ドーバー海峡に海底トンネルを造ることとなり、フランス側の基点は、このカレーとすることに決まった。
日本のボーリング・マシーン(巨大な掘削機)を投入して行われた大事業は、1994年に完成し、フランスとイギリスは、いわば陸続きとなったのだった。