名画とは、記憶に深く、刻まれているものだ。 描き始めてすぐ、ピカソの 「腕を組んですわるサルタンバンク」(1923年)
のことが、思い浮かんだ。
かつて学生のころ、ブリヂストン美術館にて目にして、いたく感動したことがあったのだ。 パブロ・ピカソ(1881-1973)、42歳ころの作品である。 的確な筆さばきでもって、線や色彩の構成が、ガシッと決まっていた。 この絵のバランスは好きだ。
このピカソの絵では、人物が、背もたれのある椅子にすわっている。 一方、筆者の絵では、背もたれは、ない設定だ。 そのためであろう、背筋の通った、質実剛健なニッポン男児といった雰囲気にもなったように思う。
ピカソ パイプを持つ少年
2004年5月 追伸
ピカソ、24歳ころの作品で、米国ホイットニー家が所蔵していた、「パイプを持つ少年」が、2004年5月、ニューヨークのオークション・サザビーズで、約113億円で落札された。 絵画についた値段としては、史上最高だ。
ピカソが、友人と共に、スペインからパリへと出てきたのは1900年、19歳のころである。 夢と希望を抱きながら活動を行うが、翌年、その友人の死に遭う。
それから3年間ほど、ピカソは、プルシャン・ブルーを多用した、沈みがちな悲しさと、孤独さを湛えた絵を描いた。 「青の時代」である。
やがて、1904年になると、同じパリ市内で転居をし、フェルナンド・オリヴィエという女性と出会って、恋仲となる。 このことをきっかけに、彼のキャンバスには、薔薇色が現れるようになる。
ピカソは、明るさを取り戻し、友人も増える。 のちの1907年に 「アヴィニオンの娘たち」で、絵画革命を起こすまでが、「薔薇色の時代」とされている。
さて、話題となっている 「パイプを持つ少年」だが、1905年の作品である。 日本では、夏目漱石が、デビュー作
「吾輩は猫である」を、雑誌
「ホトトギス」に連載していたころのことである。
やせた少年は、青の時代的な沈んだ面持ちだが、注目すべきは背景だ。 薔薇の花束が描かれていたり、赤い色が塗られていたりする。 また、少年の頭には花冠もある。 これは、孤独だった青年に対して、愛の力がもたらした、心境の変化の発現なのである。
このころから、ピカソの絵は売れだし、生活にも余裕が生まれるようになる。 こうして、ピカソは、20世紀の大画家となる手がかりを、つかんだのである。
この絵についた100億円を超える値段とは、この愛の力に対してと、成功への転機である点に対してであろう。 時代は、これらのことに、高い価値を見出しているのである。
さて、冒頭に掲載した筆者の作品、「腕を組んで座るひと」は、お尻の下の影のところに、茶を混色させたほかには、ほとんどに、オレンジを使っている。 この時期の絵は、大方がそのスタイルであった。
画家仲間がいうには、筆者の 「オレンジの時代」なのだそうである。