2004年9月11日に、神奈川県民ホールで上演された、首都オペラによる、ウェーバー作曲、『魔弾の射手』のことだ。
ウェーバーといえば、ドイツ音楽にロマン主義を導入したことで知られる、19世紀の作曲家である。 劇団を主宰する父とヨーロッパ各地を遍歴し、ザルツブルクでは、オーストリアの作曲家ハイドンの弟に学んだ。 11歳にして、最初のオペラ作品を書いたという。
当時の主流であったイタリア・オペラ勢と対抗し、ドイツ独自のオペラのスタイルを築いた。 フルネームは、カール・マリーア・フォン・ウェーバー。
なお、近代ヨーロッパの資本主義とは、自由な賃金労働を基盤とした、合理的な産業組織が、市場における収益性を考慮しながら行う、社会ニーズを満たすための経済活動であると説明した、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904-05)で知られる、20世紀の社会科学者、マックス・ウェーバー(1864-1920)とは、特に関係はないが、両者とも、ドイツ文化圏に育まれた人であることが、興味深い。
ちなみに、このマックス・ウェーバーの考え方は、19世紀を代表する社会科学者で、やはりドイツ人のカール・マルクス(1818-83)のそれと、対比されることが多い。
物語の舞台は、17世紀のボヘミアの森の中の村。 偶然にも、かの社会科学者と同じ名を持つ主人公、マックスは、生真面目(きまじめ)な、若き猟師だ。 この森の保護官の優しい娘と、相思相愛の関係にある。
だが、実際に結婚へと到るには、保護官の職を継ぐ立場にならなくてはならない。 願ってもないことなのだが、その保護官になるためには、明日に行われる猟銃の射撃大会で、優勝しなくてはならないという、村のしきたりがあった。
今日、出場した予行の射撃会では、1発も的に当たらないという、惨憺(さんたん)たる成績であった。 あせりまくるマックス...
そんな彼に近づいてきたのは、やはり猟師であるカスパール。 この男、オオカミ谷に棲む悪魔と、取引関係にあった。 なんと、自分の命をクレジット(付け払い)にして、伝説の魔弾を手に入れていたのだった。
魔弾とは、悪魔の力が宿る弾のことで、全部で 7発がある。 その6発までは、射手の思い通りの的に必ず当たる。 しかし、7発目は、悪魔が狙う的に当たるという、いわく付きの代物だ。
そして、こともあろうか、この悪役カスパールは、マックスを仲間に引き入れることで、魔弾の債務を、マックスの命で肩代わりさせようと、密かに目論んでいたのだった。
あせりが生む、ひとの心の弱さなのだろうか? 目論みを知らぬマックスは、魔弾使用の誘いを受けてしまう。
さて、射撃大会の当日となった。 マックスが放つ魔弾は、ものの見事に的を射抜いていく。 そして、隠された罠を知らぬ彼は、問題の7発目も発射する。 弾は、的とはまったく違う、あらぬ方向へと飛んでいく!
...さもあらんことか、魔弾は、悪役カスパールへと当たった。 オオカミ谷の悪魔は、当初の契約通りの代金を、受け取ることにしたのだった。
悪企みは、ついえたが、当然、この不可思議な事態の説明を、求められることとなった。 マックスは、伝説の魔弾を使用してしまったことを、後悔と共に、正直に告白した。 村のタブーを犯した所作に、人々は驚き、彼は、追放を宣告されてしまう。 結婚の件も破談だ。 ああ、窮地に陥った、根は真面目なマックス...
しかし、そこに、この森一帯で尊敬されている隠者が、厳かに現れる。
そして、神の心の寛容の理(ことわり)を説き、愛する者のために、1度の誘惑に負けたマックスを許し、謹慎1年にと減刑し、その後、結婚式を挙げることにするよう、また、ひとの心を惑わす、射撃大会で優勝することを義務づける、村のしきたりも、廃止するよう、提案する。
やがて、これらの案は、受け入れられる運びとなった。 皆は、許す心持ちへと導いてくれた、神の理の偉大さに、あらためて畏敬と、感謝の念を抱くのであった。 −
Happy End − ... 続き/Page
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(C)
柳澤 徹 東京・恵比寿 2003・12 #2 CG |
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今回の公演は、文学座の高瀬久男・演出。
村人が登場する場面が多いこともあってか、舞台には、ひとのエナジーが満ちていた。 そして、ひとりひとりが、場面にとって意味がある動作を演じていた。 その群像は、観せる角度、光の方向次第で、様々な感情表現ができる日本の能面のようでもあり、水面から突如として表れ、様々な表情を現わすシンクロナイズド・スイミングを思わせるようでもあった。
この冴えた演出に導かれながら、今を生きる幾多の観客たちは、ウェーバーが生み出したドイツ・オペラのロマンの世界に、グイグイと、引き込まれて行くのだった。
最後に、会場内で席まで案内してくれた、神奈川県民ホールの女性が、とても親切だったことを、書き加えておきたい。 気分よく、観劇を楽しむことができたと共に、この劇場が持つ総合力をも...感じるところとなった。