■ 昔読んだ小説のことを、思い出すきっかけは、様々だろう。
だが、2004年9月は、世界の幾多のひとたちが、はからずも、ひとりの作家のデビュー作を、記憶の中から掘り起こすこととなった。 フランス・ノルマンディー地方の港町
オンフルールにおいて、サガンが逝去したとの報を、聞いたからだ。
ヨーロッパには古来より、実存という考え方があった。 19〜20世紀にかけて、社会的に認知され、特に1940〜50年代、フランスを中心に、実存主義運動として盛り上がった。
その考え方では、まず、ひととは、この世に投げ出されている存在で、なぜ自分がそこにいるのかは分からないものとする。
そして、遥か長い人生の最後には死があることは分かっていながらも、おのおのは、自身の目標を「選択」し、確信と情熱をもって、その達成を追及しなければならないとした。
一言に、「選択」といっても、自分の専門分野を選ぶような大きなものもあれば、第2外国語はどれにするのかを選ぶような、小さなものもある。 だが、ひとは存在している限り、選択という行為が、常に不可避であり、自身が在るということにとって、その行為がとても重要なことだと考えた。
何を選ぶのかは、おのおのの自由。 だが、その結果責任は、負わなくてはならないとも定義。
小説家のジャン・ポール・サルトル(1905-80)や、ドイツの哲学者マルティン・ハイデッガー(1889-1976)らが牽引したこのムーブメントは、読んでいてお感じのように、社会倫理的な色彩が強いものだった。
だが、この運動から、文学という芸術を、割と気楽な、ひとの楽しみにと引き戻してくれた作家がいた。 それが、フラソワーズ・サガン(1935-2004)だったのだ。
18歳で書いたデビュー作は、『悲しみよこんにちは』(1954年)。
主人公のセシルも、同世代の女の子。 夏休みを、40代の魅力的な父親と、海辺の別荘で過ごしている。 母親とは死別した。
そこに亡き母の親友だったアンヌという女性が、バカンスにやって来る。 そして、父親と何やらいい関係になっていく。
幸せな再婚話へと進むのかと思いきや、大人ではないセシルは、このことを快く思うことができない。 そして、多感な自分の、今の気持ちに躊躇せず、ある行動を取ってしまう。 果たして、それがもたらした結果とは?
...それは、セシルの想像を、超えたものだった。 そして、少女は、ほんとうに知るのだった。 ある感情を。 Bonjour
Tristesse (悲しみよこんにちは) ... Page
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(C) 柳澤 徹 東京・恵比寿 2003・12 #3 写真 |
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