古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第187話 2007/02/02公開 |
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■ その果てしなさについては、光の速度でもって考えても、イマジネーションが追いつきそうもないのが、わたしたちがその中に存在している、この宇宙だ。 そして、そのある部分を、多様な形態や、さまざまな方法をもってして占有しているのが、「物質(マター
Matter)」である。
この極大的な切り口を、物質について、今度は極小的視点へと転じてみると、「物質」とは、分子が集まってできているということが、分かっている。 さらに、分子とは、原子が結合してできている。
そこで、この原子を、もっと微細に見ていくと、素粒子から成る原子核と、その周りを回転して止まない電子によってできているのだが、この電子とは、あるときは「粒子」のような振る舞いをすることもあれば、「波動」であるようにも振る舞うという。
また、原子とは、エネルギーに変換することが可能であり、また、エネルギーから原子を生成することも可能である。 このことから、現代の物理学においては、物質というものと、エネルギーというものとは、存在の状態が異なるだけで、本来的には同じものであると考えられている。
こんな風にして、わたしたちがいる宇宙の、こんなにもミクロ、そして根源的なところにおいて、物質とエネルギーの間に可逆性があったり、素粒子レベルにおいては、「波動」でもあったりしているならば、それらの結びつきによってできていて、この世に溢れ存在している事物や、ものごとなどが、時間に連れて変化を起こすことがなく、常に一定の状態のままであり続けるというようなことが、あり得るであろうか? きっと、ないはずだ。
自然科学のさまざまな知識が、教育やその他の方法により、社会において共有の知識となっている今日では、以上の論考も、分かりやすいものだと思うが、こうした論考にも通じるような考え・思想を、いまから800年の昔に、表現した人物がいる。
およそ1万字というから、けっして長いものではない。 むしろ、短編であるものだが、全編に渡って認められる透徹なる観察力と、心的にすぐれたバランス感覚をもって綴られた随筆、『方丈記(ほうじょうき)』の作者、鎌倉時代の鴨長明(かものちょうめい/ながあきら)のことである。
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ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。 |
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1212年に書かれた『方丈記』の、書き出しの一文である。 簡潔な文体で、リズム感も良く、これから展開されていく全編を、象徴的に表現している、たいへん印象的なものである。 ちなみに、現代語へと訳したとすれば、次のようなところになるだろう。
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川の流れは、途絶えるところがないものですが、いま流れている水は、さっき流れていった水とは、また違う水なのです。 また、川の淀んでいるところなどに、発生する水の泡などを見ていると、あちらのほうで消えたかと思えば、こちらのほうで生じたりして、けっして長い間そのままでいることなどないのです。 |
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さて、作者の鴨長明であるが、どのような経歴の人物だったのだろうか?
1155年生まれというから、そのときはまだ、平安時代の末期であった。 京都の加茂神社の神官の子で、楽器の琵琶を弾きこなし、和歌を詠むことにも、大いに才能を発揮した。 しかしやがて、同族間のあらそいに巻き込まれるところとなり、関東の鎌倉に、武家による政権が成立するという、時代が激変を極めたころにもなると、出家をしてしまう。 50歳のあたりであった。
長明は、解体すれば移動も可能で、組み立てれば再び住める住居を手に入れ、京都の郊外にて、本人のいわく、気ままで快適な隠遁生活をするようになる。 その隠れ家とは、縦横1丈の大きさ。 つまり、およそ3メートル四方の住いであり、そこで執筆を進めたので、『方丈記』と名づけたわけだ。
そのような簡素な生の中などで、随筆をした人物は、当時もそこそこいたことではあろうが、特に『方丈記』が、読み継がれるところとなったのは、作者・鴨長明が身につけていた、透徹な観察力と、秀でたバランス感覚、そして構成力によって支えられて、作品の随所に、人間の真実というものが、表現されていたからであろうと思われる。
平安時代、清少納言による『枕草子』、鎌倉/南北朝時代、吉田兼好による『徒然草』、そしてこの『方丈記』とが、日本の三大随筆と、されている... 続き/Page
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(C) 柳澤 徹 京都 2005・3 #5
東山 清水寺の山門近くにある「隠れ茶屋」にて 写真
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京都の清水寺といえば、日々じつにたくさんのひとが訪れる名所である。
その山門へと至る、左右にみやげもの店が並び、斜路となっている有名な小路も、行き交うひとが絶えないのだが、山門の脇とでもいうあたりに、あまり目立たない入り口を持つ茶屋があった。
そろそろと入ってみると、店自体が奥まったところにあるらしく、あれ、このまま進んでよいのかと思いはじめるあたりになって、間口が現われてくれる。 そして、店内は途中から中庭のような屋外へと転じていくのだが、そこのひとつの面が、その向こうのほうへと下る斜面の竹林となっている。
風がそよげば、サラサラと、木の葉のかそけき音が移動してゆき、鳥が鳴けば、この小空間にぬくもりをもたらす。 席に腰を着けていると、落ち着いた時間とは、これほど良いものであったのだったなあと、懐かしさというものまで感じてくる。
なかなか旨い団子などをつつきながら、ゆっくりしていても、不思議と、通りのほうからは、ひとが寄せてくる様子もない。 ここは「隠れ茶屋」なのだ。
次に訪れるときも、入り口が見つかるかな? |
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