散策していて、土産を求めたのだが、そのお釣りで、紙幣を受け取り、驚いた。 それが、まるで海賊の秘宝の地図か何かのように、よれよれで、すり減っていたからだ...
経済統計を読むのは、けっこう好きだ。 1990年代後半、日本銀行のWebサイトが開設されてからは、詳細なものが、スピーディに手に入るようになった。
1年くらい経ったころだったろうか、利用者アンケートがあったので回答したら、後日、紙幣の裁断屑が、お礼として郵送されてきた。 元が何だか、そこはかとなく連想もできそうだが、復元する気には、まったくなれないほど細かいシュレッダ・ダスト。 小さなビニール袋に入って、ごく少量のものだった。
添えられていた解説によると、市中から銀行などに持ち込まれた紙幣は、いったん日銀に戻って検査を受け、よれよれになったものなどは、シュレッダにかけ、新しく印刷した紙幣と交換しているのだという。 そうやって、流通する紙幣の、きれいさを保っていたのだ。
平均すれば、福沢諭吉で 3〜4年、新渡戸稲造と夏目漱石で 1〜2年で、流通を終え、裁断される。 個人の財布の中での滞留日数に比べれば、はるかに長いが、実際にモノやサービスと交換ができる、あの日本銀行券がと思うと、意外と短いように感じる。
そうえいば、ひとの身体も、脳と心筋を除いて、細胞レベルの新規作成と削除により、5年とか7年とかで、みんな入れ替わるという。 なんと、今の自分と7年以上前の自分とで、物質的に同じものは、脳みそと心臓だけということになる!
こうなると、ひとの存在にとって、記憶や知識、精神やこころといったものが、いかに大事なものあるかが、改めて認識されてくることだろう。
銀行券の話もそうだが、目からうろこが、落ちたのではないだろうか?
2004年から、稲造は文学者の樋口一葉(1872-1896)に、漱石は医学者の野口英世(1876-1928)に替わる。 流通開始は、11月1日だ。
銀行経由での回収の仕組みは、これにも機能するだろうから、稲造も漱石も、3、4年も経てば、ほとんど見かけなくなるはず。 本当にそうなるかが、すこし楽しみになってきた。 (ただし、当然のことながら、旧札は、引き続き使用することができる)
冒頭にお話しした、よれよれのギリシア紙幣は、小さな島の中で、ひとからひとへと、そうとう長い期間、循環していたのだろう。 もしかすると、その島には銀行が、なかったのかもしれない。
さて、日銀の経済統計であるが、はじめのころは、重たいエクセルやワードのファイルで配信されていた。 だが、アンケートから、しばらく経ったあと、PDFファイルでの配信へと、移行していった。
今日、図表などを含む大量情報を、Webサイトを介して、軽々と授受するには、このファイル形式のドキュメントが欠かせないが、これを考案したのは、米国カリフォルニア州に本社があり、グラフィック・ソフト「フォトショップ」で有名な、アドビ・システムズ社だ。
今回掲載したCGの題材である ゲートシティ大崎には、その日本法人も、オフィスを構えている... Page
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柳澤 徹 東京・大崎 2003・4 #32 CG |
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