古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第228話 2015/01/20/公開 |
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リヒャルト・シュトラウス
アルプス交響曲 作品64
Richard Georg Strauss Eine
Alpensinfonie,
Op.64 |
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■ それが善いことに使われるか、それともそうでないことに使われるかについて、ここでは問わないとして、なにかを形容するにあたって、「100年に一度」ということがあるが、昨今、そういうフレーズを、ほとんど聞かなくなった。
100年というのは、1世紀のことであるが、一般的にひととは、そのような、「100年に一度」と形容されるようなことに、一生のうちにめぐり合う、あるいは、遭遇するのであろうか?
ヒトゲノム解析以降の医学の進歩や、ひとびとの健康志向の高まりからすれば、今後、100歳を超えて生きるひとが増えていくだろう。
もし、あなたが、100歳を超えて生きるとしたならば、およそ「100年に一度」という形容のつくものの、すべてにめぐり合うことができるだろう。
だが、そのような長寿が達成できるかどうかについて、あなたは、あれこれと気をもむ必要など、まったくない。
考えてみよう。 「100年に一度」のなにかというのも、いろんな分野においてあるだろうし、それらに時期的な偏りが顕著でないとしたならば、「100年に一度」のなにかの半数は、100年の半分であるところの、50年の間に起きていることになる。
そして、「100年に一度」のなにかの半数は、その先の50年の間に起きることになる。
それならば、ひとの多くは、なにかの「100年に一度」のことに、めぐり合うか、もうすでに遭遇済みであろうということだ。
それにしても、100年というのは、きりが良い。 今日は、100年前に、この世に生み出された、わたしたちが知る芸術作品について見てみよう。 作品の生誕100年を記念して、ということにもなるだろうか。
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リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)作曲
アルプス交響曲 作品64
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ヨーロッパの中央部を、東西方向に横ぎってそびえるのが、アルプス山脈である。
標高の高いところでは、農業がしづらいため、アルプス地方では古くから、酪農が広く行われてきた。
21世紀では、その保護活動のほうに、より関心が集まるところだろうが、19世紀ごろから、ひとびとは、氷河や滝、険しい山岳などの、厳しい自然の光景を、美しいと感じるようになり、関心を寄せるようになった。
それらを、多く保有するアルプス山脈は、しだいに注目を集めるようになり、19世紀の半ばにもなると、避暑地としての活用が広まるなど、観光産業が発展する。
また、医学的な見地からも注目されて、サナトリウムが各地に建設された。
リヒャルト・シュトラウス作曲、アルプス交響曲。
氷河や滝の美しさ、森の中を歩くことの楽しさ、面白い牧場や花咲く草原、山の頂上からの眺め、変わりやすい山の天気など、盛りだくさんの登山行の一日を、その出発前の夜中から、下山した夜までを、「音楽」で表現した作品である。
大編成のオーケストラによって、わたしたちの目の前に再現される、アルプス登山行なのだ。
作曲は、バイエルン州の南端にある、アルプスの山麓、標高700メートルの町、ガルミッシュ=パルテンキルヒェンの山荘で行われた。
1911年にスケッチが着手され、本格的な作曲が行われたのは、1914年11月からで、1915年2月に完成した。 その間、100日であったということだ。
山荘から、雄大な山々を眺めながら、作曲したわけだが、1878年、リヒャルト・シュトラウスが14歳のときに行った、アルプス登山の経験が、曲想の源泉ではないかといわれている。
19世紀になってから発明された、市民の新たな楽しみのひとつが、壮大なシンフォニーになって、ひとびとの目の前へと、誕生したのであった。 100年前に。
アルプス交響曲は、楽章の切れ目なく演奏されるが、音楽が、登山の行程や、光景、そのときどきの情感の描写であることが、より正確に伝わるよう、曲には、合計で22個の標題が、記されている。
■ 夜 Nacht
くぐもっていて先が見えない夜。
■ 日の出 Sonnenaufgang
ひんやりとした風が、さっと吹いて、空気が澄み渡る。 その中を、こうごうしい太陽があがってくる。 体感温度が、さっと上がる。
■ 登り道 Der
Anstieg
登山者は、さっそうと出発する。 楽しみの期待でいっぱいの胸を張って。 金管がファンファーレを鳴らす。 そびえる山容が、より近くになる。 みごとな岩壁も、より近くに。
■ 森への立ち入り Eintritt
in den Wald
さあ、森に入った。 すこし目が慣れてくると、森の中のいろんなものが見えてくる。 木々のみずみずしい美しさに、登山者の感情はおだやかになる。 空気は、すこし湿り気があって、木々の香りがする。
■ 小川に沿っての歩み Wanderung
neben dem Bache
道に沿って流れる小川は、しばらくぶりで会った、なつかしい旧友であるかのようだ。
■ 滝 Am
Wasserfall
岩壁に美しい滝があって、水が流れ落ちている。 しぶきがキラキラと輝いているが、あれは、なにかの精なのだろうか。
■ 幻影 Erscheinung
登山者は、しばらく、滝の美しさに見とれる。
■ 花咲く草原 Auf
blumigen Wiesen
豊かな花の香りにつつまれて、うっとりする。
■ 山の牧場 Auf
der Alm
牧場だ。 牛や羊の群れがいて、面白い。 カウベルが響く。 小鳥たちもいる。
■ 道に迷って Durch
Dickicht und Gestrupp auf Irrwegen
登山者の気持ちに迷いが生じる。 方向性が定まらなくなる。
■ 氷河の上 Auf
dem Gletscher
とにかく進んでいるうちに、目の前がパッと開ける。 そこには、壮絶な氷河があった。 そこを渡るのは、ヒロイックだが、悲壮な気分だ。
■ 危険な瞬間 Gefahrvolle
Augenblicke
登山者は、ぎこちなく渡っていくが、足がすべったり、落下しそうになる。 そうした弾みで、石が転がり落ちても行く。 コロロ、コロロ、コロロ、コロロ、コロ、ヤバ、ヤバ。
■ 頂上での気分 Auf
dem Gipfel
そうしたところも、やっと切りぬけ、やれやれと思っていると、辺りが開けた雰囲気になってきた。 そして、遂には、自分が立っているところより高いものが、すっかりなくなった。 頂上に登ったのだ! 眺めは、なんと雄大で、気分が良いことか。
■ 幻 Vision
そうして、遠くまでを見渡していると、やがてそれらが、崇高なものに感じられてくる。 これまでの登山行が、回想される。
■ 霧が立ちこめてきた Nebel
steigen auf
ふっと我にかえると、周囲に霧がでている。
■ 太陽がしだいにかげって Die
Sonne verdustert sich allmahlich
陽の光も、かげった。
■ 悲しい歌 Elegie
登山者は、自分のことをよく意識できるものの、すこしもの哀しい。
■ 嵐の前の静けさ Stille
vor dem Sturm
周囲が、やたらと静かになってきた。 遠くで雷鳴がしたかと思うと、急に強風が吹いてきた。
■ 雷雨と嵐、下山 Gewitter
und Sturm, Abstieg
雷雨だ。 稲光と雷鳴が、すさまじい。 登山者は、そそくさと下山をはじめる。 危なっかしく氷河を渡り、滝のところも一気にぬけて、森の中へ。
■ 日没 Sonnenuntergang
そうこうしているうちに、雷が遠のいていき、空も晴れてきた。 水を流してきれいになった空気を通って、夕日が、水に洗われた山を、美しく照らしている。
■ 終結部 Ausklang
下山した登山者は、今日一日に、目した光景や経験したことを、次々と回想しながら、ややヒロイックになっている。 心身共に、満足している。
■ 夜 Nacht
夜。 自然の世界。
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(C)
柳澤 徹 東京・世田谷 2014・4 #1 等々力渓谷にて 写真
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● 武蔵野台地を流下する谷沢川(やざわがわ)が、国分寺崖線(こくぶんじがいせん)を、切れ込むように谷を形成している場所が、等々力渓谷(とどろきけいこく)である。 谷底と周囲の土地との高低差は、10メートルほどであるのだが、川に沿った両側が急斜面なので、宅地開発が進まなかったことから、東京23区内に残された、唯一の渓谷となった。 長さ1キロメートルに渡って、武蔵野のかつてを具体する、豊かな自然が、訪れるひとのこころを、穏やかに、解きほぐしていく。
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