古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第223話 2013/05/23公開 |
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歌川広重
東海道五十三次 原 朝之富士
Utagawa Hiroshige Tokaido Gojusantsugi Hara Asanofuji |
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■ その目的が、例えばお買い物であるとか、あるいは通勤・通学であるとか、またもしかするとそれ自体が目的であるウォーキングであるとか、歩く、歩き回る、それかブラブラ歩きなど、そういったことは得意なほうだという方は、わりと多いのではないだろうか。
まあ、得意とまではいかないが、どちらかと言えば好きなほうということであれば、そうだという方は、なお多いことだろう。
そよそよと流れてくる風をほおで感じながら、太陽が降り注ぐ風景が、ゆるゆると変化していく様子を眺めることができる。 外気の香りを鼻で感じ、呼吸が椅子に座っているときよりも深い。 血のめぐりも、身体の隅々に行き渡るようであるし、いらぬ雑念も消えて、いい気分だ。 歩くとは、ただそれだけで、なんとすばらしいことか!
アフリカで発祥したと云われているわたしたち人類が、ほんとうに遥か昔から全世界に分布しているのも、歩くのが好きであることの証拠だろう。
ひとがいるところはどこでも、やがては道ができる。 それもひとが歩くことが好きであることの証明のひとつだろう。
日本で、宿場(しゅくば)という言い方がある。 ひとびとがもっぱら徒歩で移動や長旅をしていた時代に、宿屋が集まった集落が宿場である。
宿場というものがいつごろできたかというと、鎌倉時代へとさかのぼることになる。
だが、それにはまた原型があって、飛鳥時代の大化の改新(646年)のあと、律令制度を機能させるため、都から諸国へと続く道が整備されたのだ。 その道に沿って「駅」が設けられた。 駅には駅舎があり、駅長もいて、駅馬も用意されていた。
やがて平安時代になって律令制度が崩れると、駅の制度もしだいに運営されなくなり、それに替わって「宿(しゅく)」が形成され、鎌倉時代には宿場というものが定着したのだった。
江戸時代は町人文化といわれる大衆的文化が花開いたことにも表れるように、それは、長期に渡った安定した時代であり、経済の活動も活発だった。 ひとびとは道を往来し、街道を行き来し、さらには、旅すること自体を目的とした旅行もするようになっていた... 続き/Page
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歌川広重 (1797-1858)
『東海道五十三次 原 朝之富士』
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これは、歌川広重による連作版画 『東海道五十三次』の『原』である。
藍色のそろいの柄の着物を着た姉妹が旅をしているらしい。 着物の裾は歩きやすくしてあり、また、平たく広い笠を使っている。 脚絆が白なのが姉であろうか、手には煙管を持っている。 同様の似た笠を被っている男性は、棒の両端に葛籠(つづら)をかけた、旅行用の両掛(りょうがけ)を肩に担いでいる。
原という場所は、現在の静岡県沼津市にあり、当時の沼津の宿から西のそう遠くないあたりにある。 富士山から流れてきた土砂が堆積して砂嘴(さし)になったりしながら形成され、古来より「浮島ヶ原」と呼ばれ、沼地のようなものであったものを、新田開発を行いつつ田畑にもなっていった場所である。
絵の街道の向こう側は、田沼のような地形が広がっている。 そして、そういった風景によく合う鶴が2羽、佇んでいる。
このあたりの名物に、駿河半紙がある。 18世紀の末ごろ地元のひとが、富士山麓にて紙の材料になる灌木を見つけ、それを三椏(みつまた)と名づけて、この地に植えたところ、大いに繁殖したのだという。
原の宿は、1601年ころに宿場に指定された。 旅籠(はたご)は25軒程度で、東海道中最小の規模であったという。 沼地にはうなぎが棲んでおり、旅籠や茶屋では、うなぎの蒲焼が名物として供された。
広重のこの作品では、原の宿そのものではなく、しばらく西に進んだあたりの風景が描かれている。 画面の右にごつく多層的に描かれているのは、愛鷹山(あしたかやま)といって富士山の南麓にある山である。
そして、画面の奥に描かれているのが、この絵の主役の富士山である。
朝焼けの空を表現するために赤色が用いられているが、その赤い空を山頂が突き抜けて描かれている。 理屈で考えるとやや変なようなことだが、全体構図のみごとさと、街道、旅人、田沼、鶴、手前の山などの多層的表現によって、不自然どころか、広重の卓越した力量を具現する作品に仕上がっている。
そして、そのことを支える隠し味、あるいは肝のような表現として特に注目したいことがある。 それは、富士山の山腹の描き方である。
山の縦方向に多数の明確な線描がある。 そしてその線描のあたりに、薄い色で影のようなものが描かれている。
富士山の部分を拡大した図像でないと見えにくいかもしれないが、それらの線描と、薄い色の影のようなものとは、必ずしもセットで描かれているのではないのである。 つまり、線を描いたところに、影を付けたということではないのだ。 線描だけのところや、影のようなものだけのところがあり、また、線描と影のようなものが一致して描かれているのではないところもあるのである。
この線描と影のようなものが交錯していくような冴えた表現は、ひとの眼の中で、そこがなにか動いているような感覚を生み、ここに描かれた富士山という山に、親しみのある生命感を、生じさせているのである。
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(C)
柳澤 徹 東京・大森 2012・9 #2 写真
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● 名所江戸百景の現代版があるとしたら、これは欠かせないだろう新名所のひとつが、東京・大田区の「大森ふるさとの浜辺公園」であろう。 東京湾に注ぐ内川(うちかわ)の河口部分を埋め立てて作られ、およそ350mの人工の砂浜が造成されていて、2007年の開園から、ひとびとが集う人気の公園である。 沖には昭和の時代に造られた人工島があるので、波が打ち寄せることもおおむねなく、端から端まで歩いてもほど良い感じで、なぎさに沿ってひとびとが、行き来をしている。 そうして、ひとが歩きやすいところとは、鳥にとっても歩きやすいようで、鳩が延々と歩いているのを、見かけることもある。
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