古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第174話 2006/01/27公開 |
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■ 中学生が好きになるには、渋すぎると思われるかもしれないが、当時もっとも好きだった日本の絵画のひとつが、国立博物館で観た、長谷川等伯の『松林図屏風(しょうりんずびょうぶ)』だった... 続き/Page
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長谷川等伯 (1539-1610) 松林図屏風
六曲ー双 右隻 紙本墨画 156×347cm 1593年 桃山時代
国宝 東京国立博物館
所蔵 |
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厳冬にも耐える常緑の樹木 「松」。 白色のシンプルな地に、余韻を持つ調子で、あるものは克明に、あるものはおぼろげに、その林が、たっぷりとした余白と共に描かれる。
日本の自然を描いた写実の作風であるが、強靭さとしなやかさ、そして繊細を併せ持つ絵師の筆が生んだ、その水墨の松は、その1本1本が、枝ぶりにての表情を持ち、ただ植物であるというよりも、なにか動物的な、それもどこか人間的な様相さえ携えている。
自然の客観でありながらも、なかなかの主観。 その表現からは、作者の内の、なにか並々ならぬ心境といったものまでが、静かに伝わってくるようである。 超一級の芸術品だ。
長谷川等伯 (はせがわ とうはく)。 画家が生まれたのは、戦国の世の能登(現石川県七尾)であった。
室町時代の画家 雪舟(1420−1506頃)の門下の等春に学んだ父親・宗清から、画(え)の手ほどきを受けたという。 信春(しんしゅん)と号し、仏画や肖像画を描いていたが、30代のはじめごろ、京都へ移った。
100年前から続いていた「応仁の乱」の京都におけるいくさは山場を越えていたが、範囲が地方へ波及していく、そんな時期にあたっていた。 また、それは、織田信長による天下統一の過程と
その後の展開の中で発生した、安土城、大坂城、聚楽第(じゅらくだい)などに代表される一大建築ブームの時期でもあった。
このとき、ブームに乗って、画工たちを組織化し、大建築の障壁画などを次々と手がけていったのが、室町時代から代々続く、独立絵師集団・狩野派(かのうは)であった。
京都に来た長谷川は、この狩野派にて学んだが、やがて、京ならではで接することのできた雪舟の水墨画作品へと傾倒するところとなり、独立して「等伯」を名乗り、一派を形成する。 豊臣秀吉からの仕事も行った。
長谷川等伯は、五代雪舟とも称した。 そして、かつて自分が手ほどきを受けたように、持てる絵画の技法を、息子である久蔵(きゅうぞう
1568-1593)に伝授した。 それは、狩野派がそうであるように、代々と続く画派を作ることを考えてのことであった。
やがて京都での20数年が過ぎたが、あるとき思いもかけないことが起こった。 20代半ばという若さにて久蔵が、この世を去ってしまったのだ。
だが、この受け入れがたい運命に見舞われたとき、才人は超人的とも思われる最高の仕事をしたのだった! その成果たるは、今日のわたしたちも目にすることができる。 画家
長谷川等伯、日本美術・幽玄として永遠なる傑作 『松林図屏風』の前に立つときに。
さて、こちらは、 今年の一文字漢字でも有名、それがどんな感じか誰もが知り、また、実際に訪れた方も多いだろう 京都・東山にある「音羽山
清水寺(おとわさん きよみずでら)」。 その舞台からの眺めである。 (2005年の漢字が 「愛」だったことは記憶に新しい)
多種の木々が成す、自然色の重なりが美しく、塔あり、路あり、茶屋もありと、掛け軸や水墨画にある美世界を、現実にてよく配し創りだしたかの、3次元の大風景だ。 写真には、路行くひとも
偶然ながら納まっている... 続き/Page
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(C) 柳澤 徹 京都 2005・3 #4 東山 清水の舞台からの眺め 写真
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清水の舞台。 その床は、断崖のほうへと、わずかに傾斜をしている。 そのため、縁にある堅牢な手すりによって守られていても、そこに立つひとは、なにやら重力加速度に吸い寄せられているような錯覚を持つ。 それゆえ若干のスリルといったものも加味されて、感覚は澄まされ、眼前に展開される風景に
より没入し、その美世界を楽しむことになる。
ところで、ことわざに、「清水の舞台から飛び降りる」というのがある。
舞台傾斜の効能からの連想によって、あるいは生まれてきた ことわざなのかもしれないが、「死んだつもりで思い切ったことをすること」や、「非常に重大な決意を固めること」を指していう。
もし、そのような思い切ったことなのであれば、「いちかばちか」といった、気みじかな心持ちなどではできるものではない。
変化がより早い、わたしたちが生きる現代において、たとえば、末代まで続くようなと発想するのは、たいへんなことだが、視野が広くて
気高い良心と、豊富なる経験の元に、全能を注いで得た「勝算」は、そこになければ ならないだろうし、また、よい結果とは、それがあるところが好きなのだと思う。