古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第204話 2008/07/04公開 |
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■ サバンナの草原が広がる、ケニアの奥地。 そのキャンプにて、生まれてすぐの3匹のライオンを引き受けて、育てたひとの物語といったら、ジョイ・アダムソンが著した『野生のエルザ(Born
Free)』(1960年)である。 20世紀最高の動物記録文学と賞されている。
子ライオンたちが成長していく様子、中でもエルザと名付けたライオンとのこころの交流、そしてやがて野生へと戻していく試み...
東京のたいていの書店において、名作であるとして文庫本が常備されているころ、小学生の筆者はこの本に出会ったが、あまりの感動に、何度も読み返したものだった。 あとで知ったのだが、映画にもなっていて、その主題歌『ボーン・フリー』は、アカデミー賞を受賞している。
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バラード・シンガー
マット・モンローが歌う 主題歌"Born Free"
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さて、ライオンは動物である。 百獣の王とも呼ばれる。
そのライオンとも交流を成し得る、わたしたち人類もまた、動物である。 だが、ライオンとの関わりを描いたジョイ・アダムソンの著作が、特別な感動をもたらすものであるほどに、この地球上で人類は、他の動物とは異なっている存在である。
では、なにがそれほどに、際立ちの存在としているのだろうか?
それは、人類が意志を持っているからだろうか? 強さということでは人類には勝てないだろうが、意志なら動物にもある。
人類が道具を使うからだろうか? 何年か前に筆者は、木の枝の棒でもって深さのあたりをつけながら、川を渡るサルの実写映像を観たことがある。 動物も種類によっては、道具を生活に用いるのだ。
では、人類に思いやりがあるからなのだろうか? たしかにそのようにも思えるが、ゾウの群れなどを見ると、子ゾウに対して思いやりを示しているようだ。
それではいったい、実際に人類が示している、他の動物と異なるこの際立ちとは、なにによるのだろうか?
それは、人類が「火を使うこと」による。
動物はみな、体外から食物に相当するものを摂取して、それをエネルギーに変換して活動している。
だが、人類だけは、自分の体内で発生するエネルギーのみで生活をしようとは思わず、自身の体内の代謝システムには備わっていない、「火が燃えるという現象」に伴って発生する外部エネルギーを、自分たちの生活に活用するのだ。
このことによって、他の動物と異なる際立ちの存在となっているのである。
はじめに、山火事があった。
好奇心とチャレンジ精神旺盛なご先祖は、焼け跡に踏み入り、逃げ遅れた動物がこんがりしているのを(やっぱり)味見して、美味しさに驚嘆した。
残り火を持ち帰り、焚き火にすると、焼肉ができた。 水を沸騰させた中に、植物を放り込むと、柔らかく美味しくなった。
焚き火は、夜の灯りにもなった。 絶やさないようにすると、冬でも暖がとれた。 凶暴な捕食動物も、火を恐れることを知った。
自分の体内において発生できる以外の外部エネルギーを、自身の生活の中に取り込んだご先祖は、こうして文明を興した。
人類は、運にも恵まれたのだろうか。
文明は発展し、数も多くに殖え、かつひとりが使用する外部エネルギーの量も増えたのだったが、地上にはえる木という木を切り倒して薪にしてしまう前に、石炭を燃やして活用する方法を、一般化させることができた。
蒸気機関や製鉄炉、石炭ストーブなどが代表格だ。
また、夜の灯りとしては、クジラの油がランプを明々とさせた(註1)。
石油を上手に活用する方法が、しだいに分かってくると、クジラの油に替わって、石油が夜を灯した。
そして、1879年を境に、遂に世界から、夜が消えることになった。 トーマス・エジソンが白熱電球を発明したからだ。
石油は、最大の需要を失いはしたものの、液体であるゆえに燃焼プロセスにおいて扱いやすく、また少ない量でも大きなエネルギーを生み出すことのできる特徴には、しばらくすると、石油ランプを遥かに上回る、巨大な需要が出現した。
1908年、ヘンリー・フォードが、ガソリンを燃やし、ひとを乗せて走る乗り物の、大量生産をはじめたからだ。 自動車である。
その自動車、T型フォードの大量生産開始から、ちょうど100年が経過というのも、因果であろうか?
焚き火からスタートした、人類による外部エネルギー活用の歴史においても、2008年という年は、重要度をもって記憶されることになるだろう。
なぜなら、石油(原油)の価格が、未踏の領域へと上昇したからだ。 石油は高価なものになったのである。
アート満載のWebミュージアム『とおる美術館』の、主要コンテンツである『世界芸術列伝』は、今回で204話へと進んだが、そのほとんどのページにおいて、『みんなで止めよう地球温暖化 チーム・マイナス6%』のロゴを表示して、リンクを張っている。
筆者にとっては、冒頭でご紹介した『野生のエルザ(Born Free)』を通しても育まれもしたところでもあるが、本芸術列伝を読まれる方の中には、1973年の第1次オイルショックの体験を契機にして、自分の身に付いているという、実務肌の方もおられることだろう。
また、1997年に京都議定書が議決されたころから、よく考えるようになったという、意識レベルが高い方も、多くおられることだろう。
今回2008年の原油価格の高騰という事実は、広範囲のひとびとに、行動の変化をもたらしている模様である。
かつて人類が、地上にはえる木という木を切り倒して薪にしてしまう前に、なにか別の外部エネルギーの活用方法を一般化させるのに成功したように、この2008年の経験が、人類にとっての強い契機になることを、願うばかりである。
さて、さきほど、人類が他の動物と異なる際立ちとなる、外部エネルギーの活用のはじめには、「山火事があった」と述べた。 その山火事であるが、それをそもそも発生させた存在があった。
日本では古来より、「雷神(らいじん)」、あるいは「雷様(かみなりさま)」と呼ばれている。
その雷神の姿を、絵画として描き出したことでは、画家、俵屋宗達によるものが、もっとも良く知られている。
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俵屋宗達(たわらや そうたつ 生没年不詳)
『風神雷神図屏風(ふうじんらいじんずびょうぶ)』
(2曲1双 各157×170cm)から『雷神』(部分)
17世紀 紙本金地著色 京都・建仁寺所蔵 国宝
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金地に描かれた、ダインミックな雷神である。 逞しい体つきは、雲の上で踊りを打っている。
頭を観ると、なにやら獣のような顔つき。 2本の角が生えており、耳は大きく尖っている。 いわゆる鬼の特徴を呈しているのであるが、表情のどこかに笑みを漂わせているので、観るものに親しみを感じさせる印象がある。 おへそが、しっかり描き込まれているのも面白い。
両手首、両足首にはめたリングは、神性の雰囲気をかもしている。
また、雷神のいる空間に環状に展開されている、近代的な感覚を放っている物体も、興味を惹くところである。
電磁誘導を発見した、19世紀の科学者マイケル・ファラデーによる『ロウソクの科学』(1861年)の挿絵に描かれていそうな感じであるが、これは磁石とコイルでできているというわけではなく、じつは「太鼓」が連なっているのを、図案化しているのである(註2)。
この雷太鼓を叩けば、ドドーンと、雷鳴が響き渡るのである。
雷神の両腕に掛かりながら、画面の左から吹く風にたなびく、帯状の長い布は、なにげないように見えても、この絵画に、生き生きとした軽やかさを注ぎ込んでいる。
15世紀のイタリアで描かれた絵画、サンドロ・ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』の、西風によってたなびく、ヴィーナスの髪や季節の女神の着衣と、共通する表現のように思える。
俵屋宗達は、江戸時代初期の画家であった。 狩野派など、既存の流派には属さず、独自の画風を開拓し、打ち立てた芸術家である。 支持層は、町衆・文化人を中心としながら、皇室にも及んだという。
さきほど、雷太鼓の造形が、近代的感覚であることを述べたが、宗達の絵画全般に、江戸時代の初期にしては、独自性が強固な、近代的な感覚にあふれているのが特徴である。
現代においては、「雷神」と聞いたならば、まずこの宗達の雷神が、頭の中にイメージされものである。 だが、時代が大正になるまで、宗達は忘れられたかの存在であったという。 それゆえに、生没年さえ不詳である。
江戸の初期における、俵屋宗達のオリジナリティあふれた近代感覚とは、それほどに先取のものであったのである。
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(C) 柳澤 徹 東京・上野 2006・8 #1
『輝ける緑』 写真
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