古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第220話 2012/05/27公開 |
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ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル
水上の音楽 Georg
Friedrich Handel Water Music |
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■ 晴れた日の夜空を見上げると、星のまたたきが目に映るが、たとえばオリオン座であるとか、誰にでも判別しやすい星座などが見えたりする。
さて、この星座であるが、太陽や月とだいたい同じように東から昇ってきて、西へと沈んでいくものだが、夜空の中から任意のひとつの星座に注目したとき、その星座が翌日、同じ位置に来るのは、時間にしておよそ4分早くなるという。 太陽のように24時間なのではなく、23時間と56分で一周してしまうということなのだが、それは一体なぜなのだろう?
そのことを考え出すと、わたしたちは、もはや地上のある場所に立ち、そこから夜空を見上げている観測者という視点のほかにもうひとつの視点、宇宙空間にあって、太陽の周りを地球が一周するのが見えるような視点が必要になる。 そこでは、地上から星座と見えている星々が同じ位置に輝いているのが、それらが上下左右前後と全視界に渡って見えるだろう。 そしてそこには大気がないので、星はまたたかないだろう。
さて、なぜかを考えるにあたっては、その4分という時間そのものにヒントがありそうだ。
地球は自転しているが、その1回転分を1日と呼んでいる。 1日24時間で360度回るわけだが、それならば、4分の時間があれば何度分回れるのであろうか?
1日=24時間=1,440分 1,440分÷4分=360 こう計算してみると4分とは、1日の360分の1に相当するのであって、1回転360度の360分の1、すなわち、4分とは1度に相当するのである。
そうすると、この余計に回る1度分とは、なにか? これは地球が太陽の周り回っていることによる。 1年365日かけて一周するから、地球は1日で、角度にしたら公転軌道のおよそ1度分を進むのだ。 だから、地上の観測者から見た星座のほうも余計に1度分回る。
これで、夜空の星座が、前の日より4分早く同じ位置にくる理由が分かった。
特別に陽気だというわけでもないのだが、そのひとが来ると、場の雰囲気が変わり、日常が、もしくは集いが楽しいなにかとか、無意味ではないものになる。 そういったものを持つ人物とは、確かにいるものだ。 または誰であったとしても、ときには、あるいはときどき、そのような自分になっているのを楽しんだりもすることだろう。
ミュージック、音楽とひとくくりにいうこともできるが、その音楽の種類や性格は、実に多種多様だ。 そしてそれがもたらす効用も、さまざまである。 特別に陽気だというわけではないが、その音楽が聴こえてくると、場の雰囲気が変わり、日常が、もしくは集いが楽しいなにかとか、無意味でないものになる。 そのような性格を持つ音楽が確かにある。 それを聴くわたしたちは、音楽に浸り、文字通り、音を楽しむ。
この感覚をもたらす音楽として当てはまるものは、それこそたくさんあるだろうが、もっとも当てはまるもののひとつが、ヘンデルの音楽だと思う。
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ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685-1759)作曲
管弦楽組曲 水上の音楽 HWV348-350 より |
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なにかを激しくかきたてるわけでもないし、迫り来るわけでもない、ゆったりとしたその音楽は、その場の雰囲気を一変する。 その心地良さと、意義ありげな響きには、しばし時間をゆだねるのに、あり余る価値があることを感じさせる。 晴れた日の夜空を、ふと見上げて、見知った星座を見出し、そこからわれらが大地、この地球が、自転をしながら、公転軌道を進んでいる様子をイメージするときに感じるような、大事にしていないとループ回路にもなろう思考というものが、捉われなく開放される感覚を、得ることができよう。
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルは、1685年、現在のドイツのハレに生まれた。 地元の大学で法律を学ぶものの、音楽への情熱を断ち切れず、ハンブルグへ出て、オペラでブレイクした。 1706年からは、イタリア各地をめぐり、イタリアオペラに接し、それを吸収した。
ハンブルグ時代のオペラ作品には、すでに紛失しているものなどもあるが、ヘンデルのオペラ作品は、のちの管弦楽作品と同様、ゆったとした曲調を持つ。 1世紀あとの19世紀のロマン派オペラが見せるような、激しい感情がめくるめくように展開したり、もうすこし手前のモーツァルトの歌劇が見せるような、身近な感情に訴えるユーモアとはまた別の感覚ものであるようだ。
ストーリー自体は、歴史的な出来事を題材としているものが多いが、そこをリアリズムで追求しようというのではなく、ものごとを一度、人間的感情の動き方と、それにさまざまと係わってくる意思の力や倫理観などに分解・吟味したあとで、再構成してオペラ作品にしている感じだ。 歌手たちによって歌われるものを聴いていると、結論として現れるある感情が突如として提示されるのではなく、そもそもあたりから始まって、だんだんと順を追って述べられるので、ひとつひとつが理解できる、あるいは理解しやすいものになっている。 この感情やものごとの説得性のありようが、ヘンデルのオペラの特質であると思う。
のちに作曲されるオラトリオ作品など、たとえば「メサイア」(1742年)においても、この特質が見られる。
イタリア滞在時代には、オペラのほか、カンタータやオラトリオを作曲。 1712年には、ロンドンに移住。 現在によく知られる曲の多くは、これ以降の長い時間の中で、作曲されている。 管弦楽組曲「水上の音楽」も、こちらに含まれ、1715年から1736年にかけて、数回に分けて作曲したという。 1727年には、イギリスに帰化した。
ところで、ヘンデルがロンドンに移住した1710年代とは、産業革命がはじまるおよそ半世紀前にあたり、過ごした時代とは、それの開始の準備段階、イギリス農村における毛織物工業の時代であった。
音楽家であったヘンデルは、自分の音楽に創意を与えてくれる土地や文化圏をめぐりながら、同時に、自分の音楽を大いに受け入れてくれる土地や文化圏、そして時代性において作品を発表している。 たとえば晩年の作品「メサイア」は、ロンドンで作曲したのだが、アイルランドで発表して受けまくっている。
大航海時代からはじまった、グローバリゼーションの中における、産業革命前夜期の時代を、ヘンデルは、闊達に歩んでは、創作の花を咲かせていったのである。
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(C)
柳澤 徹 東京・墨田 2010・8 #1 写真
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● 天空へと延びる電波塔、東京スカイツリーが、2012年5月、グランドオープンした。 すでに歴史が証明しているところの五重塔が持つ制震構造を取り入れた、地上634メートルの建築物だ。 地上付近では三角形をしていて、上へいくに従って滑らかに円形へと変化していくデザインで、鉄鋼管が組まれているが、それぞれの鋼管は溶接でもって接合されている。 つまり、リベット留めの構造なのではなく、構成する37,000本の鋼管すべてが一体となった構造となっており、強度と軽量化の両立が図られている。 まだら雲を背景にしたこのスカイツリーの写真は、首都高速中央環状線から荒川越しに、墨田の街の景色とともに撮影したものだ。 建設途上のこの時点で、スカイツリーは展望デッキのやや上のあたりまでできているが、デッキの外壁パネルは、まだ取り付けられていない。 塔なので特別に陽気だとかではないのだが、それができることで、雰囲気が変わり、日常を、もしくはひとびとの心持ちを、楽しいなにかとか、意味あるものにしていくのであった。 |
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