古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第219話 2012/01/26公開 |
|
画家・イラストレーター
A.B.フロースト Arthur
Burdett Frost |
|
■ およそひとは、人生を送るにあたって、周囲のひとたちからの期待に関心を抱くものである。
周囲の期待を把握して、それらに応えることが、周囲に喜びや満足をもたらし、それがひいては、自分に幸せの感覚をもたらすことを知っているからだ。
その一方で、ひととは、自らの内なる魂が希求するところを邁進しもする。 それもまた幸せの感覚をもたらす。 意義あることなのか、そうでないのかは別にして、あるひとの魂の求めるところと、周囲の期待が一致しているのであれば、幸せは2倍となるであろう。
このように、ひとの幸せということについて、周囲の期待と自らの魂の希求が大きく関わっているということであるならば、これら期待と希求について、ひとはほんとうはよく知っておくべきであろう。 だが、周囲の期待を正確に知ろうと試みたならば、周囲ごとに異なる思惑をしていたのであったり、無関心さに驚いたり、単に時流に乗ったようなものであったりして、果たしてそれに、自分の幸せを賭けて良いものか疑問を抱くかもしれない。 もしかすると、「周囲」を考えるのであれば、「広範囲な周囲」を想定してその平均値を求めたほうが正確かもしれない。 それなら幸せを賭けられるかもしれない。
また、自らの魂の希求についてもそれを正確に知ろうとすると、果たしてそれがほんとうに自らの望みなのかという点についても、精査しなくてはならないだろう。 また、かつてスティーブ・ジョブズは、「目で見るまでひとは、自分が欲しいものが分からない」と言った。 目で見てみるまで、自らの望みが分からないのであるならば、自らの魂の希求を正確に知ることは、案外とたいへんなことなのかもしれない。 ならば、その近道は、自らの望みと思われることを、フォレスト・ガンプのようにひとつひとつ試行してみることにあるだろう。
ただし、近道と言っても、時間はかかりそうだ。 だがしかし、よく考えてみれば、自らの望みの試行の積み重ねということ、それそのものがひとの人生というものである。 そして、そうした過程の中に、幸せが存在していることだろう... 続き/Page
Up
|
|
|
アーサー・バーデット・フロースト (1851-1928)
『モハベ川のハヒロハコヤナギ』
|
|
ひとは、自らの望みと思われるものを、ひとつひとつ試行していく。 そしてそれこそが人生というもの。 こう聞いて、それはまだるっこしい、わたしなら人生をもっと手っ取り早く進めるさという方も、あるいはおられるかもしれない。 しかし、かつてスティーブ・ジョブズが言ったように、ひととは「未来に先回りして、点と点を繋げて見ることはできない」のである。
それでは、ひとつひとつを試行していくとして、それがあなたにとってどういうことになるのだろうか? 試行した直後に思ったことと、かなりの時間が経ったのちに振り返って思うこととは、同じなのだろうか?
幸いなことに、わたしたちには、織り成す長い歴史の中から生まれたすばらしい発明である「言語」がある。 言葉とは目に映るものを差して言うこともできるし、また目には見えない概念のようなものを差して言うこともできる。 今日は、後者のほうの中から、対になっている「概念」を幾つか取り出して、思索を楽しんでみよう。 わたしたちの誰もが、普段なにげなく使ったり、思い浮かべたりしているものばかりだが、なにがしか考え、一度整理してみるのは、意味あることだろう。
(問) 正しいか、誤りか。
(答) それは、立場による。 つまり、どういう立場をとるかによって、正しくもあれば、誤りにもなる。 1足す1でさえ、立場によって解は異なる。
(問) 得か、損か。
(答) それは、いわば、方法論の問題だ。 主義・主張はこのへんから生まれてくる。 絶対的な価値ではないうように思われる。
(問) 幸運か、不運か。
(答) 責任放棄、ものごとのひと任せ、運命論。 つまり、論じる価値もないようなこと。
(問) 幸せか、不幸か。
(答) 個人の問題である。 つまり、そう感じるのは個人のこころの中でのことであるということだ。 この意味では、究極的な価値である。
(問) 善か、悪か。
(答) それは、いわば、パワーの問題である。 パワーがあれば善になりやすいが、パワーの使い方を誤れば悪になりやすい。
(問) 賢いか、愚かか。
(答) それは、いわゆる戦術の話だ。 実戦における戦術レベルの話である。
(問) 合法か、違法か。
(答) 社会・経済を円滑に回す決まり事。 かなりのエネルギーが注ぎ込まれる、社会的な価値である。
|
|
|
|
(C)
柳澤 徹 東京・目黒 2008・2 #4 写真
|
|
|