古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第216話 2011/01/17公開 |
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画家
ジョージア・オキーフ Georgia
O'Keeffe |
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■ およそひとの世に聞こえる出来事とは、平素のあるさまの延長よりも、いささか刺激的なものであるのが常である。
それゆえ、刺激性ということが、ひとびとの関心を集める、根源的な理由であるようにも見えるが、必ずしもそうではない。 なぜなら、刺激的でありさえするならば、世に聞こえる出来事になるとは限らないことを、わたしたちは、経験的に知っているからだ。
ひとびとの関心を集めるものとは、刺激性よりもむしろ、ひとの世が、時に連れて変化していくさまを、霞んだ空気の中に、なんとはなしに読めるか読めないかくらいのタイミングで、そうした変化によって発生する応力が、もっともかかったようなところで、まるで、その変化を象徴するかのように表出した出来事であることが多い。
霞みがかった空気の中で、意識するかしないかくらいのところで、ひとびとが予感めいて抱いたなにかが、具体的な出来事となって現れ出たかのようなことに、強い関心が集まるのだ。
芸術家は、「感動とは、予感の的中度合いのことである」ことを知っているが、そのことと似たような心的作用が、そこには存在しているように思われる。
21世紀から20世紀を見渡せば、美的な感動ということと、ひとの世が時に連れた変化を、具体的な絵画に融合し、作品を発表する度に、ひとびとの関心と賞賛を集めたことで、天才と呼ばれた画家、サルバドール・ダリ(1904-1989)がいる。
その作品は今や、スペインということに留まらず、人類の宝であるのだが、実際、ダリの絵画作品は、時代時代における潜在意識を、よく反映している。 ダリの作品の制作年と、その時代とを照らし合わせながら鑑賞すると、時代の潜在意識が分かるほど、その反映の仕方は、たいへん正確である。
ダリというと、その派手な公衆パフォーマンスでもって記憶している方も、おられるかもしれないが、そこまでご存じの方なら、ダリは、刺激的なパフォーマンスでもって賞賛されたのではなく、歴史が高い評価をしているのは、時代の潜在意識を絵画作品にしたことによってであることもまた、ご存知のことだろう。
さて、遠い未来になろうことだが、25世紀から20世紀を見渡すということを考えたとしよう。 そこには500年という年月があるのだが、それはちょうど、現代のわたしたちが、500年前のルネサンスの時代を見渡すのと、同じくらいの尺度になる。
半ミレニアムの月日にも、芸術作品に寄せるひとびとの価値観に守られて、ルネサンスの絵画作品は、実にたくさんが現存している。 ボッティチェリ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ... それぞれが、確固たる個別の芸術ではあるのではあるが、それでも500年後から見たならば、「ルネサンスの絵画」であるとして、その傾向性がはっきりとある。
21世紀から20世紀を見る限りにおいては、その体験の記憶もまだ鮮明で、限りなく多様であるように映る絵画作品たちも、もし25世紀から20世紀を見たならば、「20世紀の絵画」であるとして、はっきりとした傾向性が見えることだろう。
ストレージの技術の発展を考えれば、インターネット初期の時代の検索可能なアーカイブが残っていくこともあるだろうから、25世紀のために、いま記述してみるが、25世紀には、ダリの絵と傾向性が近そうに思われるだろう画家がいる。 ジョージア・オキーフである。
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ジョージア・オキーフ(1887-1986)の絵画作品 |
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25世紀のために、記述しておくということであるならば、そのころには、絵の傾向性が近いと思われているだろうから、ここではダリ、オキーフ、それぞれが確固とした芸術であったことを示す記述になるべきなのだと思う。
ジョージア・オキーフと聞けば、多くのひとが思い浮かべるのが、画面に大きく拡大された花の絵である。
絵の大きさはというと、数メートルもあるような巨大なものではなく、かといって、数十センチの小ぶりなものでもなく、おおむねその中間くらいである。
「20世紀の絵画」を集めた展覧会などで、オキーフの作品があると、ひとびとの足はその前でよく停まる。 そして、大きく拡大された花の絵であるにもかかわらず、すこし離れて全体像を見ようとするひとは少なく、また、眼鏡を額に持ち上げて詳細を見ようとするひとも少ない。 おおかたのひとは、絵の割と近くに立って、作品からわき上がってくるものに浸っている。
その様子は、あたかもミツバチが、花に辿り着いたかのようなのである。
オキーフは、花の絵をたくさん描いたが、そのほかには、山のある風景や、動物の骨の絵、そして抽象的な絵画を描いた。 逆にいえば、それらだけを描いた。 オキーフには、70年にも渡る制作の期間があったことを考えれば、モチーフの範囲は限定的であったといえよう。
さらには、彼女が追求したテーマが、一貫としてひとつであったことである。
オキーフの花の絵に浸ると、そこに描かれた花が、「本能や感情、そして意思までも備えた生きもの」のように感じられる。 このことは、風景画に描かれた山についてもそうだし、描かれた動物の骨でさえも、「本能や感情、そして意思までも備えた生きもの」のように感じられるのである。
そう感じられるのは、オキーフがそう思っていた、感じていた、オキーフの想像力がそう捉えていたからである。 そして、それを絵画として、具体化していったのである。 彼女の手にかかれば、モチーフが生命を持った。
追求したテーマは、一貫としてひとつ、70年間変わらなかった。 まったく変わらない彼女は、世間のほうから見出されたのであった。
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(C)
柳澤 徹 トルコ 2000・11 #14 写真
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● アナトリア高地を西へと、1時間は走り続けているバスは、今夜の宿泊地へ向かう行程にあり、夕刻も近づく車内の空気は、どちらかというと、うたた寝モードにあった。 ひたすら続く平らな道もあれば、時おり坂道もあったが、車窓からは、小麦畑と、その向こうに、ほとんど途切れることのない丘陵が見えるのが、共通であった。 それでも、見慣れた風景であるわけではなかったし、車内が静まっているときほど、旅情に浸れるのも事実であったので、流れていく風景にゆるりと興じながら、特に趣きがありそうなところでは、カメラのシャッターを切った。 これは、そうして撮影した写真の1枚である。 ひとの知覚とは、ひとや動物の顔というものを、目や鼻などの少ない情報でも、判別しやすいというが、この丘陵は、なにかいそうである。
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