古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第158話 2005/03/04公開 |
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■ 平穏なる江戸時代を開いた徳川家康と、ひとつ違いの画家が、ヨーロッパにいた。 エル・グレコである。
1541年、ギリシアのクレタ島で生まれ、イタリアにて絵画を学ぶ。 関係者からの誘いにより、スペインのトレドへと移り住み、独特の芸術を開花させた。
スペインは、画家が生まれる、およそ40年前ころ、新大陸アメリカを発見した。 また、イエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエルが、キリスト教を伝えるために、1549年、はるばる日本にまで来ていることからも判るように、当時、スペインは、世界トップクラスの国際国家だった。
そして、大聖堂を擁し、バチカンに次ぐと言われたカトリックの町、トレドは、その首都であった。
1980年代の後半、この町を訪れた。
現首都マドリードから南へおよそ70キロ・メートル、赤みを帯びた草原の道を走ると、三方を美しい川、そして緑に囲まれた、石造りの町が現れる。 城門をくぐり、中に入ると、落ち着いた雰囲気を持っていることが判る。
天高くそびえる大聖堂のおごそかさも印象深いが、古い石畳の小路などを歩んでいると、ここに刻まれてきた、人々の生活の積み重ねの、とてつもない長さが、押し迫ってくる。 それは、木造りの町、京都で感じる歴史情緒とはまた異なる、わずかずつだが、石に刻まれてきたものを、直接目にする迫力である。
トレドには、グレコが、その後半生を過ごした家が、今もある。 一般の邸宅なので、教会建築のような荘厳さや、宮廷建築のような華美とは、無縁のものだが、美術館となっている。
さて、話は変わるようだが、近代以降のことを、すこし考えてみよう。 例えば、印象派の絵画を、思い浮かべてみよう。 欧州では、産業革命が進行するのに伴い、一般の市民がその自宅の壁に、絵画を掛けて、生活を楽しむようになる。
その需要の急速なる伸びに応えて、画家たちも制作に励んだ。 題材は、市民たち自身であったり、また、自らも観光に行けそうな場所の風景だったりする。 そして、家々では、必然的に、市民たちの目線と、同じ高さの壁面に掛けられることとなる。
このことをイメージできたなら、グレコが描いた、3メートルを超える大作のように、教会から依頼され、祭壇に飾られるための絵画の性格が、対比により、理解しやすいものとなるだろう。
それは、昼なお暗く、夜の照明は少なく、しかし、高い天井を持った、大きな空間にて、静粛さと共に、掲げられるものなのである... 続き/Page
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エル・グレコ (1541-1614) 羊飼いの礼拝
1612-14年 油彩 319×180cm プラド美術館(スペイン)
所蔵
祭壇画 (宗教画 スペイン・マニエリズム) |
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グレコ最晩年の傑作である。 大きな画面に、イエス・キリストが生まれたころの場面が、描かれている。
おさなごからは、明るい光が放たれ、囲む人物たちを照らし出している。 中央奥に立ち、慈愛の眼差しを向ける聖母マリア。 その隣にて、両手で喜びを表す夫のヨゼフ。 手前にかけての体格の良い人物は、ガスパール、バルタザール、メルキオール。 星の知らせにより、礼拝に駆けつけた東方三博士(マギ)だ。 そして、上方では、天使たちが、舞いながら祝福をしている。
グレコは、事物に、親近感を抱かさせる天才だ。
青年期から書に親しみ、画家としての可処分所得の多くを、本の購入に充てたと言われるほど、学識が豊かだったが、また、サービス精神も旺盛で、かつ、それを表現にする技を会得していた。
このお蔭で、ここに登場している人物の背景や、いわれを、たとえ良く知らなかったとしても、静粛の中で、絵を仰ぐひとは、素直に感じることができるのである。 人類であれば共通に持つ、慈愛や希望を... 続き/Page
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(C) 柳澤 徹 東京駅 2004・10 #1 CG |
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これは、夕刻の東京駅の丸の内 側である。 ライトアップされた、大正時代に造られた赤レンガの建物の、照明が灯る構内へと、人々が吸い込まれるように歩みを進めている。
そして、あと12時間もすると、陽の光に照らされながら、同じところから、逆の方向へと、歩みを進めることになるだろう。 ときどき休みながら、12時間後、そしてその次と、繰り返される。
ところで、ヨーロッパに住む個人が、社会との係わりを持ち、その一員であるためには、神への信仰を欠くことができないとも聞く。 どのような社会的立場にいるひとでも、信仰においては、「精神的な平等」が、実現されるからなのだ。
ここに掲載されたCG作品では、一般的に無宗教と言われている、ここ60年間の日本にとっての、一神教の世界での「信仰」に代わる精神的支柱、あるいは、平等への願望、そして、国民の持つ強みが、表現されている。
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