古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第198話 2008/01/01公開 |
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哲人
マルクス・アウレリウス・アントニヌス 自省録
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■ 「ガラスのコップが欲しい」、そう思っているひとがほんとうに求めているのは、何か飲み物を、楽しむことである。 美術品級のコップであるなどの状況を除けば、多くの場合、ケースの中に並べるために「ガラスのコップが欲しい」とは、思わないものである。
「パソコンが欲しい」、そう思っているひとがほんとうに求めているのは、インターネットへと接続して、サイバースペースにて知の周遊をしたり、誰かとコミュニケーションすることであったり、膨大なる情報の、集積・整理・統合を通して、新たな知識の創造や生産をすることである。
ぼうっと光るフラットパネルや、ほのかに温かい風を噴出する箱を、机の上に置かんがために「パソコンが欲しい」とは、思わないものである。
「土地が欲しい」、そう思っているひとがほんとうに求めているのは、その上に建物などを築いた上で、何らかの営みを行うことである。 柵で立ち入り禁止にして、雑草を茂らせるために「土地が欲しい」とは、思わないものである...
かつて、ウィリアム・シェイクスピアが、戯曲『ジュリアス・シーザー』において、BC44年のできごとを描きだしたが、その年から、古代ローマは再び、きびしい内戦の時代へと突入した。
それは20年近くにも及んだのだが、知恵と実行と時間により、BC27年、この混乱の収拾に成功したのが、アウグストゥス(BC63-AD14)であった。
これを境に、以降の2世紀は、ローマに平和と繁栄がもたらされた。 その2世紀を指してひとは、「パックス・ロマーナ」と呼ぶ... 続き/Page
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『アウグストゥスの彫像』(部分)
大理石 プリマポルタから出土 ヴァチカン美術館所蔵 |
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この「パックス・ロマーナ/ローマの平和」の、特に後半80余年は、5人の賢い皇帝の時代、「五賢帝時代」と呼ばれ、比較的穏健な政治が行われた。 18世紀の歴史家エドワード・ギボンによれば、「人類が最も幸福な時代」であったという。
さて、今回焦点を当ててみようと思うのは、この五賢帝の中でも、AD161年、5番目に帝位に就いた人物、マルクス・アウレリウス・アントニヌス(AD121-180)である。
歴史が展開していく巡り合わせが、主たる要因ではあろうことだが、4人目の皇帝アントニヌス・ピウスの対外国政策のぬかりも相まって、5人目の時代は、「パックス・ロマーナ」の中にあっても、険しいものになった。
東方域ではパルティアの、また、北方域においては、ゲルマン人の侵攻を受けるところとなり、マルクス・アウレリウスは、それへの対処に奔走をした。
それは、「パックス・ロマーナ」が放つ光の、影になった部分に、静かに蓄積されていった問題が、噴出してきた時期だったとも言えるだろう。
だが、五賢帝のひとりに、名を連ねるだけあって、マルクス・アウレリウスの、諸問題への取り組みは、実に果敢だったのである。 そして、そのことを象徴するかのように、最期は陣中に没した。
運動に長け、球技が上手く、劇場にもよく出かけた。 絵を描くことにも熱中した。 だが、子供の時分より哲学が好きで、これにひと際、没頭した。 「哲人皇帝」、ひとびとは、彼をそう呼んだ。
そんなマルクス・アウレリウスは、ローマ皇帝歴代の中でも、時を超え現代人に、特別な親しみ持たれている。
と言うのも、彼が『自省録(じせいろく)』を書き残していて、そこにある思慮の深さや、真摯な姿勢が、幾多のひとびとに、共感を持たれているからである。
マルクス・アウレリウスの『自省録』は、思想・哲学の書である。
そう聞いて、分かるような分からないような漠たる本なのではないかと、想像する方もおられるかもしれない。 だが、それが誤りであることは、すぐ知るところとなるだろう。
先述のように、哲人マルクス・アウレリウスは、諸問題の解決に極めて果敢に挑み続けた、実践のひとであった。
それゆえ、そうは容易くはないものごとや仕事に、真面目に取り組んでみたり、完遂させたりしたことのあるひとであれば、この『自省録』に綴られていることに、真実を直感し、自然と共感を抱くのである。
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苦しみが永遠に続くと思い込むのは「浅はか」の極致だ |
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現在あるものも、これから生まれ来るものも、あっという間にわれわれの背後に押し流され、運び去られていく。 「存在」は大河のごとく一瞬たりともとどまるところを知らない。
その流れは変化を続け、因果は絶えずその形を変える----そこにおいては何ものもじっとしてはいられない。 われわれのすぐそばにはいつも「無限」が巨大な姿を現わし、過去と未来に手をこまねき続けている。
あらゆるものはこの無限の深淵の中へと消えてゆく。 それなのに苦しみのときが永遠に続くがごとく思いこみ、あえいだりあたり散らしたり、くよくよしたりしている人間とは、なんと浅はかなものであることよ。 |
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これが、マルクス・アウレリウスの『自省録』に収録されている一節である。
今から2千年近くの大昔にあって、これほどの知性と達観が示されていることに驚かれた方も、少なからずおられるのではないだろうか?
しかも、2千年後のわたしたちにとっても、ずいぶんと現実的な示唆であることだろう。 それが実践の哲人の言葉の重みというものなのだ。
『自省録』には、短いもの長いもの合わせて、60を超える実践の明察が、収録されている。
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どんなことが起ころうとも、それには正当な理由ある。 ものごとをよく観察すればわかるはずだ。
いろいろなできごとが続いたとしても、それは単に因果関係があるというだけのことではない。 そこには正当な根拠がある。 それはまるで配剤の妙を心得た神の手が介在しているかのようだ。
ものごとの観察を続けなさい。 そして何をするにも善良な気持ちを忘れないように常に気を配っていなさい。 |
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人間は変化に対して尻ごみをする。 だが、変化を経ずして何も生まれてはこない。 変化ということ以上に自然力にとって尊く似つかわしいものがあるだろうか。
タキギが変化しなければフロは沸かない。 食物が変化しなければ栄養分にはならない。 およそ役に立つものは変化しなくては得られない。
こう考えてくると、自分自身の変化にも同じことがあてはまる。 それが自然から見ても必要不可欠だということがわかってくるだろう。 |
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マルクス・アウレリウス・アントニヌス 翻訳)草柳大蔵 |
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(C) 柳澤 徹 トルコ 2000・11 #12
『ハドリアヌス神殿/エフェソス都市遺跡にて』 写真
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その昔、地中海、エーゲ海、マルマラ海に囲まれた地域は、ローマの領域であった。 そこで繁栄した都市のひとつが、「エフェソス(エペソス/エフェス)」である。
石畳で舗装された歩道が張り巡らされた、今は遺跡として保護されている、この石造りの街は、自身で歩いてみたが、その広いことは、一度では掴みがたいほどであった。
このハドリアヌス神殿は、その命名が表わすように、五賢帝の3人目にあたるハドリアヌス帝への献上として建設され、AD138年頃にできあがったものであった。
日本の街中にある神社の社殿くらいの規模であるが、豊かな創意が感じられる建物であった。 とくに、軽やかさと、厳粛さのバランスが美しい。
手前側に、石の重量を分散させて支える、アーチ構造が見られる。 楔形をした石の並びの中央に位置するキー・ストーン(要石)には、この都市の女神ティケが彫られている。
奥の壁面のレリーフ(浮き彫り)にあるのは、メデューサである。
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