古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第190話 2007/05/04公開 |
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画家
ジョルジョ・デ・キリコ 形而上絵画/アリストテレス/ハイデッガー |
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■ いつの時代のひとにとっても、時間というものをどのように使うかは、大きな関心事項である。 ものごとの「変化」もまた、いつの時代にもあるが、その速度が一段と早い現代においては、時間の使い方をいかにするかの重要性は、より高まっていると言えるだろう。
ところで、そうした「時間」というものの連続の中にいて、普段はまったく意識しない、また、意識してみてもどうなのか判然としないところではあるが、人間の脳には、優れた機能があり、およそ6秒の間は、見たこと聞いたこと、嗅いだり触れたり、味わったりしたこと、いわゆる五感で知覚したことのすべてを、覚えているということである。
そして、比較的重要なことや、いわゆる印象に残ることなどは、オートマチックに選択されて、6秒間ののちに、自身の「記憶」として残り、このほかの情報は自然に消滅する。
睡眠している時間は別として、人間は、幼少のころから、今日に至るまでずっと、特別に意識することもなく、このことを繰り返しているわけだ。 そのようにして「嗜好」され、蓄積された記憶たちは、語ることができるであろう、そのひと自身の「経験」であるとも言えよう。
しかし、そうした人間の五感を用いる方法、つまり「経験的」な方法をもってしても、はっきりと説明できない領域が、世界にはあるのだ。
たとえば、自分の目の前に何か物があったとして、「そもそも、物が存在するということは、どういうことなのか?」と、問われれば、「わたしの経験によれば...」と語り出すのは、かなり難しい。 また、「人間の魂とは何か?」、「神とは何なのか?」と問われても、経験談をもって即座に説明するのは、これもまた、なかなか難しいように思われる。
だが、そのように、経験的には語れない領域というものがあるのであったなら、どうにかして、知的な方法でもって解明してみようではないかと、燃えるひとたちがいるのが、人類が持つ健全な探究心のいいところだ。 実際のところ、かなり昔からこの試みはなされていて、そうした研究を「形而上学(けいじじょうがく)」と呼ぶ。
おおむねその起源にあたる人物は、紀元前4世紀、マケドニアのアレキサンダーの家庭教師だったギリシア人哲学者、アリストテレス(BC384-BC322)である。 ご存知のとおり、アレキサンダー(BC356-BC323)がのちに大王となり、東西が融合していくヘレニズム文化が豊かに開花するに至ることを考えると、「形而上学」やそうした発想法とは、これまた、たいそうな価値がありそうである。
そのアリストテレスから、2千年を超えて進化をする「形而上学」ではあったが、観察と実証の積み重ねを基盤とする近代科学の発展と、それを現実世界において有効化する運動・産業革命の進行により、その影は薄くなっていくことになった。
だが、時というものがあやなす「見えざる手」とでも言うのか、20世紀が進行していくうちに、科学万能的な価値観は揺らぐところとなっていく。 そして、「形而上学」は、再び息を吹き返すことになる。 その過程で、強力な働きをしたのは、ドイツの哲学者、ハイデッガー(1889-1976)と、その1927年の著書、『存在と時間』である。
さて、ものの考え方や、価値観の変化というものを、その内部に如実に反映をし、しかもそれに接するひとに、それらを直感的に伝播する能力を持っているのが、芸術作品の特徴のひとつであるが、まさにこの時期の、科学万能的な価値観の揺らぎと、「形而上学」復権の機運というものを、みごとに絵画表現した芸術家がいる。
ギリシア生まれのイタリア人で、シュルレアリスムの画家、ジョルジョ・デ・キリコである。
ご覧いただいた絵には、どこかの広場への入り口のひとつのような場所が描かれている。
しかし、この中にあるものは、どれも写実的に描かれてはいるものの、絵全体から受ける印象は、現実世界とも近いようではあるが、物理法則的なものが、すこしずつずれているといったような感じである。 また、ほかでは見たことがない風景であるはずなのだが、どこか根源的に懐かしい感じがする異世界という印象も受ける。
この不思議な印象については、改めて絵を良く観ることによって、その理由は分かってくる。
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@ 物の影が、これほどまで克明であるのに対して、空が暗い。 また、シルエットにはなるはずのない少女を、シルエットで描いている。 |
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A ポール・セザンヌ(1839-1906)が静物画などで用いてキュビズムへともつながった、ひとつの絵画の中に多視点を盛り込むといった描画法を、写実的な絵画世界に適用している。 つまり、物や地面などを、写実的に描いているのだが、適用している遠近法は、意識的に、それぞれすこしづつずらしてある。 |
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そして、これらのことが、渾然としてひとつの絵画作品にとまとまっているので、現実世界における法則が、揺らいでいるかのような感覚を、もたらす効果となっているのだ。 この感じのところが、科学万能的な価値観の揺らぎということを、時代背景とした、絵画表現であったことだろう。
また、輪っかを転がす少女や、広場のイメージなどには、昨今においては少なく、あったとしても立ち入りが困難ではあろうが、かつては、夕方になるまで遊べた空き地が、ふいに目の前に再現されたようなデ・ジャ・ヴ感覚があり、それは個々の人間にとっての原初的なものへの回想的な感覚、平易に言えば「懐かしい」といった感じを演出している。
この表現は、人間の思考が、人間的感覚をもって、ものごとを推し量っていくニュアンスのある「形而上学」が、復活してくることを示唆する、絵画表現であったことだろう。
ところで、現代の日本が世界に誇るアートに、アニメーションがあるが、その歴史の20世紀における「前 IT革命の時代」には、「形而上学(メタフィジックス)」的なものが、底に流れるテーマとなっていることが伝統ともなっていたように思う。 科学万能的な価値観の揺らぎと、人間的な(ヒューマンな)感覚による推し量りといった視点のことである。
手塚治虫(てづかおさむ 1928-1989)作品にて、それは形成され、宮崎駿(みやざきはやお
1941-)作品、たとえば『未来少年コナン』(1978)、『天空の城ラピュタ』(1986)などで高度に醸成されている。
そして、庵野秀明(あんのひであき 1960-)作品、『ふしぎの海のナディア』(1990-1991)にて強化が行われ、遂には『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-1996)にて、社会的現象ともなるほどまでに、伝統の頂点を迎える。
特に、『新世紀エヴァンゲリオン』におけるメタフィジックスさの部分は、その登場した時代的なタイミングとも共鳴して、デ・キリコ的な視点が持っていたものを、実に鮮やかに再生せしめていたように思う... 続き/Page
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(C) 柳澤 徹 トルコ 2000・11 #9
『イスタンブール/ボスポラス海峡とボスポラス大橋』 写真
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西と東の文化が融合をする都市、トルコのイスタンブール。 黒海からマルマラ海へとつながる、ボスポラス海峡が、この街を、2つの部分に分けている。 西のほうをヨーロッパ・サイド、東のほうをアジア・サイドと呼ぶ。
この写真は、ボスポラス海峡クルーズ船上から、筆者が撮影したもので、ボスポラス大橋が写っている。
天気は快晴であった。 陸地に立つ橋脚の辺りを見ると、橋げたの影が、くっきりと投影されているのが、お分かりであることだろう。 それではと、橋げたの影の続きを辿っていこうとすると、群青色の海上では、それらしいものが見当たらない。 ちょっと不思議な感じがする。 そんなことが気になってくると、それは単に、カメラのレンズの収差のせいなのだろうが、橋げたが、すこしよじれているようにも思えてくる。
この画面には、対岸が写っていないのであるが、この宙空へと伸びるこの橋は、そもそも、続きがきちんと、つながっているのだろうか?!
この橋は、ボスポラス海峡に架かる、ふたつの橋のうちのひとつ。 ちなみに第2ボスポラス大橋は、日本の重工メーカーが1988年に完成させた。 西暦2000年に、筆者が目したとき、ふたつの橋とも正常に架かっていたし、壊れたなどとの話は、その後も聞いたことはない。
さて、こんにちは両岸ともトルコに属するイスタンブールである。 だが、「形而上学」の始祖アリストテレスがアレキサンダーの家庭教師をしていたころは、相当状況が異なっていたらしい。 伝説の域を出ないところであるが、西は、トラキアを経てマケドニアの方面、そして東は、ペルシャであったようだ。
この街が、西暦330年、ローマの首都「コンスタンティノープル」となる、7世紀弱前のことである。
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