古今東西を巡る総合芸術表現シリーズ 世界芸術列伝 第226話 2014/05/25公開 |
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画家
ユゼフ・ヘウモンスキ
Jozef Chelmonski |
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■ ひとによって、その長短などが話題にもなるが、ひとの寿命というものは、生物界において、概して長いものだ。
そうしたひとにとっても、10年といえば、それなりに長い期間であると思うが、20年ぶりというべきか、それとも、70年ぶりともいうべきか、東欧において、混乱が起きている。
このことが世界の歴史を揺るがすような異変の序章であるのか、あるいは、地域に由来する限定的な出来事であるのか、どちらなのかは現時点で明確ではないが、ひとの歴史はひとが織り成すものであるから、どちらにするのも、ひと意思や、ひとの信念といったものと関わりが深い。
ひとが持つ叡智や忍耐強さなどの徳が、多く発揮されることによって、事態が沈静化していくと良いと思う。 そして、信頼、友情、平穏という言葉が、自然と響いていくような世界に、落ち着いていくと良いと思う。
現在は中欧と認識される地域を含めて、東欧に大国はない。
歴史を俯瞰すれば、時代時代の大国の政治的影響を、受けてきた地域である。 古くは、13世紀のモンゴル(蒙古、韃靼・だったん、タタール)の影響があった。 20世紀、第1次世界大戦終結と第2次世界大戦勃発との間は、国々が独立した時代だった。
近いところでは20年前、東欧革命を経て、再びそれぞれが独立国となった。 都市は美しく整備され、プラハのあるチェコや、ブダペストがあるハンガリーなど、旅行者に大人気である。
東南アジアといったとき、それがひとつの一様な文化圏であるとは思わないように、東欧といったときも、それがひとつの一様な文化圏でないことはいうまでもない。 それぞれに、独特で個性的な文化があり、それぞれが魅力的な国々である。
今日は、それらから、現在は中欧に含まれると認識されている、ポーランドに注目してみたい。
ポーランドが輩出した人物といえば、地動説を唱えた16世紀の天文学者コペルニクス、ピアノの詩人と呼ばれる19世紀の作曲家ショパン、放射線を研究した20世紀の女性科学者キュリーが良く知られている。
19世紀から20世紀にかけて活躍した画家には、ユゼフ・ヘウモンスキがいた。
現在は、ドイツのような経済大国への道を、10年を超えて着々と歩みつつあるポーランドであるが、画家ヘウモンスキが生きた1849年から1914年を通して、ポーランドという国は存在しておらず、ポーランド人とポーランドの文化と自然があった。
ワルシャワの西75kmに位置する街ウォヴィチで、ヘウモンスキは生まれた。 最初の、絵の教師は、父親であったという。
ワルシャワの高等学校を卒業してから、1867年から1871年にかけて、ワルシャワの絵画クラスで学ぶ。 歴史画家・風景画家として知られるヴォイチェフ・ゲルソン(1831-1901)に、1871年から1874年にかけて個人レッスンを受ける。 マクシミリアン・ギリエムスキ(1846-1874)ら画家仲間たちと、絵画制作に励む。
1870年ころから、ポーランドの各地、タトラ山脈、そしてウクライナを旅するようになる。 そして、それらの自然を感じとり、自然が語りかけてくる言葉を、作品にしていった。
ウクライナ。 肥沃な平原、ステップ(草原)、ひとの目から見て、まるでそれらが果てしないほどに広がっている土地。 ヨーロッパの穀倉としての特質が、世界的に知られる。
ウクライナ(Ukraina) のクライナ(kraina) とは、国とか、地方、地域、土地などの意味を持つ言葉であるのだが、このクライという音節には、端であるとか、はずれ、淵といった意味を持つ。 頭のウ(U)
は、内とか中を示す接頭語だ。
したがって、「ウクライナ」とは、辺境地帯の国という原義を持つ。
しかしながら、もし「地球の裏側」と聞いたとき、ひとは巨視的な感覚を刺激されて、ロマンや、なにがしかの憧憬のようなものを感じるであろうように、「辺境地帯」と聞いたときにも、同傾向の感情を抱くものである... 続き/Page
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ユゼフ・ヘウモンスキ (1849-1914)
『遊糸 / Babie Lato』 1875年 119.7×156.5cm
ワルシャワ国立美術館 所蔵
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果てしないほどに広がるステップ。 大地の土には緑が染み入っていて、それ自体が無限の生命であるかのようだが、そこに、横たわった少女がまた、生き生きと描かれている。
白いスカートに、刺繍が見られるクリーム色のたっぷりとした上着を、身に着けている。 頭には、黄色の布を巻いている。
題名の「遊糸(ゆうし)」とは、クモの子などが、自らが出した糸でもって風に乗り、移動するさまをいう。
少女のかたわらに転がる木の棒には、握り手ようなところがあり、その近くにひもが結わえてあるので、杖の形をした生活道具だろう。
少女は、右手でクモの糸を風にたなびかせて、幸福に楽しんでいるのだが、杖の形をしたものにも糸が付いていることから、まず、この道具で宙を飛んでいく遊糸を集めて、右手に持ち替えたものと思われる。
また、少女は、大地と同じ色をした敷物の上に載っていることから、自分でここに横たわったと思われる。
すこし離れたところに、黒い犬がいて、遠くを見つめている。 その遥か向こうには、牛などの家畜と、ひとびとが見える。
地平線は、ごくわずかに曲線を描いていて、地球の丸さを意識させるかのようだ。
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(C)
柳澤 徹 多摩川 2014・1 #1 『新たなる朝』 写真
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● 1月の朝日は、昇る時刻が遅いため、早朝のひと走りなどをすると、その途中で、日の出を拝むことができる。 それは、曇りがちな日であった。 時刻が進んでいくにつれて、雲と雲間が色づき、こぼれるようにして、さして来た陽とは、情感に溢れたものだった。 鳥も自由に、飛んでいた。
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